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言葉は争いの元 / 葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国
日本では自然を神とするので八百万の神々がいます。
ですから日本人にとって神が自然以外の別の場所にいるとは到底考えられません。
神道には聖書のような聖典(教義・教理)がありません。
自然はものを言いませんから文字化できません。
でも聖書のヨハネの福音書は、初めに言(ことば)があった。言は神であった、で始まっています。
別の聖書には「みことば」と仮名で記してあります。
いずれにしても、キリスト教の神は人間の創作だから言葉を尽くして教理の説明が必要なのでしょう。
この教理は人の創造による人工的なものですが、日本の自然崇拝というものは人の創造ではなくて人の想像だと思います。
そんなことから、一神教のキリスト教は日本の精神風土にはなじまなかったのでキリスト教の信者が増えませんでした。
「私が唯一の神である。私の他の何物も神として拝んではいけない」などと言われても日本人には全くピンとくるものではありません。
今の中東戦争もアッラーとヤハウェの喧嘩でしょうが、日本のように八百万の神々がおられますと、人間同士も真面目な顔をして殺し合いをしようなどという気にはなれません。
それから、教義を聖典や経典のような文章にしてしまうと、読む方の解釈の仕方によって、異端だ背信だなどと争いが始まって、別の宗派に次々と分裂してしまいます。
今頃はAIが流行りで、何でもデジタル化できると思っている人が多いですが、例えば「美味い」とか「いい香り」といった五感や、コツとか悟りを言葉で説明するのは不可能です。
それで禅では、言葉なんか信用できないから以心伝心の不立文字だと言っています。
ですから神については、欠陥の多い人造の一神教をいったん横に置いて、世界の神々を先ず日本の神のように言葉や文字を使わない、ただ穢れを祓うだけの教理のない神に改宗した方が、世界平和に役立つのではないかと思います。
葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国。
柿本人麻呂(万葉集 第十三巻三二五三)
※葦原の瑞穂の国・・・日本のこと
※言挙げ・・・ことさら言葉に出して言いたてること。自分の意志をはっきりと声に出して言うこと。宗教的教義や解釈を「ことば」によって明確にすること。
【今日の名言】
たった一言が、相手の心を傷つける。
たった一言が、相手の心を幸せにさせる。
編集協力:和の国チャンネル
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