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引き算の美、余白の美
日本にはよろしくとか、お陰様で、などといった短い言葉でお互いに察し合う文化があり、その先に俳句や短歌があるといえましょう。
黙ることで生まれるのは余韻であり暗黙智といわれるもので、その沈黙の中にこそ答えがあるのかもしれません。
なぜなら本当の答えは教えてもらうのではなく、自分で気付くものだからです。
語り尽くさない「間」の美しさは短詩に限らず、折り紙とかあやとりなどの日本の文化の全てに共通していて、山水画や水墨画などの余白は、全てを描き尽くそうとする西洋画とは正反対です。
ブラジルの生け花というと、たくさんの花をみな束ねてドーンと派手に飾る感じですが、日本には「一輪挿し」という生け方があります。
青い竹を切って花器にし、そこへ椿の枝を一本挿して床の間に置く。
二、三日して椿がポロリと落ちたらそのままにして落花の風情。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(※)と徒然草にあるとおりです。
※「(春の桜の)花は真っ盛りなのを、(秋の)月はかげりなく輝いているものだけを見るものだろうか?」という意味。by 兼好法師
庭園でいえば白い砂利と岩だけの枯山水は、不要なものをどんどん削ぎ落としていく侘び寂びの文化です。
日本の神社建築などは簡素な構造でカンナをかけただけの白木のままの木肌や木目ですが、リオの有名なゴシック風教会に入ったら、内部の壁には隙間なく彫刻や浮彫が複雑に施してあり、あまりにもゴテゴテした装飾の過剰さに見ているだけで疲れる感じでした。
君が代に比べるとブラジルの国歌はずいぶん長く、旧約の詩編や雅歌はもっと長い。
日の丸は世界一簡単な国旗であり、除夜の鐘は単純な音だからこそ人を内省的にし煩悩を静かに消してくれるのでしょうか。
ある華道家は、「花を生けるとき、花ではなくて、空間のほうを見ています」と言ったそうです。
モジ市コクエーラの茶屋敷では年に一回能楽の定期公演があって、一昨年の演題は船弁慶でした。
世阿弥は花伝書で秘すれば花なり、と言っていますが、能も動きを限界まで省略した舞台であり、その静かな「間」に余情が生まれ、見ている者の空想や想像力をかきたてるのでしょう。
<今日の名言>
「他人を幸福にするのは香水をふり掛けるようなものだ。香水をふり掛けるとき自分にも数滴ふりかかる」 ユダヤ諺
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