外国との交渉がうまくいかない理由
日本と外国との交渉がうまくいかない原因の一つとして、外国は主に言語による理論だけで交渉しますが、日本では誠意、信用、恩義、義理、譲歩、同情、忖度……などの言葉や文章にできない抽象的な情緒を含めて交渉をします。
ですから日本では昔から契約書が重要視されず、男子に二言無し、で済みましたが、外国でそうはいきません。
大陸の人々はお互いに違う言葉を話し、違う宗教を持った異質な人たちが混ざっているので、日本のように均質な民族ではありません。
ですから共通認識とか暗黙の了解などはないので、「もうこれ以上言うな。オレの目を見ろ」とはなりません。
ですから外国との交渉の前提として、お互いの常識や思考習慣が異なっているのだから、ここまで書かなくても、という事柄まで書き入れ、一つ一つネジを締めておく必要があります。
大陸の民族は攻めて行ったり攻められて難民になったり、季節によって草の生える場所を追ったり、狩りの獲物を追ったりと、昔から移動するので人間関係の蓄積ができませんでした。
ですから「昨年中は色々お世話になりました、今後もよろしくお願いします」とはなりませんし「恩を受けた人に恩返しをしないとはなんて恩知らずだ」とはなりません。
そのときにお礼を言って終わりです。
だから「お前を育ててやったから親孝行しなさい」などとも言いません。
その時その時で貸し借りがゼロになります。
一カ所に千年も定着していた稲作民族とは発想が違うのだ、という事を理解しないと「あれだけ経済援助してやったのに……」と裏切られたような気持ちになります。
「たくさん寄付をしたから、ご利益があるはずだ」ではなく、「寄付できたことがご利益」です。
明治以降、日本ほど海外の諸国に寄付した立派な国はありません。
差引勘定、神がする。
【今日の名言(名話)】
江戸時代の盲目の学者、塙 保己一(はなわ ほきいち)が歩いていたら下駄の鼻緒が切れた。
そばの版木屋に紐を求めたら、紐を投げてよこした。手探りで紐を拾う保己一を使用人たちが馬鹿にして笑う中を保己一は裸足で帰った。
やがて苦心の「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」(※注)が完成して出版することになり、保己一はその版木屋を指定した。
版木屋の主人が塙にお礼をいうと「私が今日あるのは、あのとき受けた軽蔑に発奮したのが動機だから、私の方がお礼を述べたい」と語った。
原稿用紙の20字×20行の形式は、この時の版木が元になっているといわれている。
「仇は恩で報ぜよ。」
西洋の「目には目を…」の正反対である。
※「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」塙保己一が編纂した国学・国史を主とする一大叢書。古文書総目録。古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収めている。寛政5年(1793年) - 文政2年(1819年)に木版で刊行された。歴史学・国学・国文学等の学術的な研究に、多大な貢献をしている。
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