日本海軍が慎重過ぎた理由
私は先の大戦の「海戦シリーズ」を順番に読んだことがあるのですが、日本海軍の戦いぶりはいつも中途半端で消極的な感じがしていました。
真珠湾奇襲のときなどは、全パイロットを前後の二群に分けて出撃しましたが、湾には空母がいなかったので、隠れているかも知れない空母の反撃を心配して、全パイロットは一回出撃しただけで帰ってきました。
あの時、南雲中将が二次攻撃を試みて、倉庫やドックなどの港湾施設や燃料タンクを爆撃していたら、ミッドウエーでの大敗北はなかったでしょう。
米軍がガダルカナル島に基地を完成させるため、巡洋艦に守られた商船隊が近づいてきたとき、三川艦隊は夜戦でその護衛艦隊を全滅させたのに、朝が近かったこともあり米艦載機の来襲を恐れ、裸になった商船隊をそのまま放置して退避しました。
そのためヘンダーソン基地が完成し、それが多くの日本兵の餓死につながり、餓島と呼ばれるまでになりました。
その他にも、レイテ沖海戦における栗田艦隊の謎の反転などが続くたびに「陛下からお預かりした艦(ふね)にもしもの…」と言い訳しています。
私もだんだん気持ちが悪くなり「大人しくて小心な日本人は戦争には向いていないのだ」とつくづく思って読むのを止めました。
日本海海戦の時はまだ、戊辰戦争や西南戦争の刀で斬り合う尚武の気風が残っていましたが、後の司令官たちは海兵の卒業順、成績順なので、米軍の抜擢人事には敵いません。
平時の人事と有事の人事が同じなので、結局大和ホテルや武蔵屋旅館になってしまい、武蔵の主砲などは一度も撃つことはなかったそうです。
昨今のコロナでも、富岳 (スーパーコンピュータ)が撮った空気感染するような画像で国民を脅し、その後の日本の損失を大きくしましたが、いくら現場の技術者が頑張って良いハードウェアを作っても、上がそれを使いこなせない、という愚を繰り返しています。
世界一強い軍隊とは、
将軍をアメリカ人、将校をドイツ人、兵隊は日本人で編成した軍だ。
【今日の名言】
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」
松浦静山(肥前国第9代平戸藩主松浦清)の随筆集『甲子夜話』の中の一節より
※編集協力:和の国チャンネル
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