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素直な木
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雨の日に、ふと木の下で雨宿り
木やその上に生えている葉が雨をしのいでくれる
自分のそばには、頼もしい太い幹が寄り添ってくれる
葉が雨を弾き、ほどよく、地面にその雫を落とす
枝からも幹へと雫が伝って、根元にそれを送っている
雨をしのぐのではなく、受け入れて自分なりに吸収している
そこにありのままの「素直な木」がいる
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1本の木にはどれくらいの生き物や植物が存在するのだろう?
葉や枝、幹、根っこには、様々な生き物や植物の住処になっている。
葉には、虫が食べた後や卵を産み付けていたりする。よく見ると、葉をねじらせて、卵を産んでいる虫もいる。
枝には、カミキリムシが枝を噛んで中に入った跡や鳥がくちばしで突いて餌を探した跡がある。たまに、鳥がつついて作った巣があることもある。
幹には、苔や菌が付いていたり、アリたちが通った跡も。
根っこ(地中)には、いろんな菌や虫たちの住処になっている。
まさに、木は生き物たちのタワーマンションである。
「木の名前は〇〇だ」という頭(知識)から入るより、心(興味関心・観察)から入ると面白い。
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よく観察すると、同じ種類の木でも、太さや枝ぶりが違う。全く同じ木は存在しない。唯一、同じとすれば、自分の置かれた環境で紆余曲折しながら、天に向かって成長しているということだと私は考える。それは、人の成長も同じだと思う。
素直に自分なりに成長する姿は、自然の中でのびのびと遊んでいる子どもたちの姿と重なる。
私もそうでありたいものだ。
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人と付き合うのにちょっと疲れたなと思う時は、木と触れ合ってみるのもいいかもしれない。相談しても何も言ってくれないが、受けとめてくれる気がする。
その木を手で触れてみたり、よく観察してみるとただの「木」ではなく、いろんな営みが見えてくる。
木の根元を頭にして寝っ転がり、上を見上げてみると、いつもと違った景色が見えてくる。
木に抱きついてみたり、木登りをしてみると、木の暖かさや強さを感じることができる。
木のそばに座って、ぼ〜っとしてみると、葉っぱたちが風の音を聞かせてくれる。
何も言ってくれないが、自分を受け入れてくれる。
自分の「素直さ」が還ってくる。
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