人間らしさ中心で誰一人取り残すことのない世界へのチャレンジ。
※文字数多め(2,239文字)
こんにちは。なんと革靴の底が知らぬ間に剥がれていました。なんだか歩きにくいなと思っていたけれど、気づかぬ間に無くなっていたりするものなのですね・・・。
デザイン思考的デザイン思考の終焉。
デザイン思考にふれる機会が多い。古いno+eではあるもののこの記事を読むたびに「ああなるほどね」と思うことがしこたま増える。言ってしまえば型にはまったデザイン思考は終焉を迎え、新たなステージに向かうってことだと思う。理解が高まり、そしてレゴ®シリアスプレイ®の可能性も得られる。
デザイン思考って、付箋書いて、貼って剥がして、さあ終了。ではない。お作法はもちろん大事だが、そのお作法はいつもの決め台詞と同じ。「それは手段であって目的ではない!」的なあのやつ。そう考えるとデザイン思考的デザイン思考は日本人にはマッチして、それはデザイン思考ではなかった。
デザイン思考の4つの課題。
さてレゴ®シリアスプレイ®はどうなのか、という話になっていくのがこのnoteの当たり前なわけだ。以前にもデザイン思考的デザイン思考とレゴ®シリアスプレイ®の関係性について書いたのですが、ヒト中心設計(Human Centered Design:略してHCD)が重要なのは今も昔も変わらないですね。
下記の第2項くらいに書いている。
また、時間的制約による「深さの欠如」言葉/雑音による「認知的疲労」人間的アプローチによる「実態のないものを捉える」ファシリテータによる「エネルギー効率の最適化」という4つの課題の克服についても掲載している。まさにこれはお師匠の受け売りなんですが、すべてに納得感ですわね。
人間らしさ中心への回帰。
そのうちにある、実態のないものを捉え切れない、という課題はデザイン思考よりもヒトそのものの課題とも言えるんじゃないだろうか。パラダイム、バイアス、心理的安全性の欠如。デザイン思考以前の問題のような気がしてならない。まあそのためにレゴ®シリアスプレイ®が存在しているわけだが。
以前、ユヴァル・ノア・ハラリ氏のサピエンス全史について書いたことがある。その中での「ホモ・サピエンスがここまで急激に栄えたのは虚構を信じる能力が尋常ではなかった」。ならば、さらなる進化を遂げた今、人間中心から人間らしさ中心への回帰を求めるのは前述のno+eだけでもないはずだ。
誰一人取り残すことのない世界が人間らしさ中心を生む。
ではどのように人間らしさ中心へと舵を向けるか。下記にデザイン思考のアプローチプロセスを示す。自分自身もデザイン思考のアプローチは今でも実践しているが特に違和感を感じない。しかしながら、より、人間らしさ中心のアプローチへと変貌するためには一体何が必要になってくるのだろうか。
レゴ®シリアスプレイ®が最も大きいインパクトを残すのは間違いなく「全員の声を聴く」ことだと言える。Phase1、Phase2で参加者全員の思いが表出されているか否か。誰一人取り残すことのない世界、社会への回帰。これこそ人間が持つ人間らしさを中心としたデザイン思考なのかもしれない。
最後に。
レゴ®シリアスプレイ®メソッドが人間らしさ中心を目指し、誰一人取り残すことのない世界へのチャレンジであることは言うまでもない。7つの習慣の第6の習慣「シナジーを創り出す」でもある。全員の声を、ボイスを必要としない人に向けては、この言葉を贈りたいと思う。