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「マインドストーム」を無理矢理7つの習慣とレゴ®シリアスプレイ®に結びつけて読む<その1>
こんにちは。常に楽しいことを考えていたいほうなのですが、なかなかそうはいかないところもあるのが人生ですね。
今だからこそのマインドストーム。
以前、レゴ®シリアスプレイ®は「コンストラクショニズム(構築主義)」という教育理論がベースになっている、と書きました。コンストラクショニズム提唱者のシーモア・パパート教授の「マインドストーム」は、常に気づきを与えてくれる書籍でもあるので、いつも自分の近くに置いているのです。
そこで「マインドストーム」を読みつつ、自分なりの解釈を交えながら7つの習慣とレゴ®シリアスプレイ®とに結びつけて読んでいこうと思います。サブタイトルの「子供、コンピューター、そして強力なアイデア」はまさに自分の目指す領域でもある。なので少しわがままにお付き合いくださいませ。
コンピューターとコンピューター文化。
もともとインフラエンジニアでもあり、実は小さい頃からBASIC言語などで遊んでいた記憶もあり(ですが今はプログラミング言語とは遠縁になってしまった)、また、新規事業の立ち上げや、バックエンド、運用・サポートなど幅広く実践してきた経験もあり、この本に出てくる言葉はしっくりきます。
今回は第1章「コンピューターとコンピューター文化」からヒントを掴んでいきたいなと思います。この書籍の初版は1982年。ちょうど12歳でした。書かれている内容が理解できる年齢でもなかったのでしょうが、今読んでみると当時に親から言われてきた言葉に近い内容の記載がそこにありました。
人間、誰にも間違いはある。
それは「人間、誰にも間違いはある。その間違いを正せるかどうかや」。どうしても人は自分の眼鏡で物事を見る。自分は間違っていないという前提がどうしても芽生えてしまう。そしてその逆もあり、間違えるのが怖くて、今を守ることだけに集中して前に進めない、なんて方もいるのではないか。
プログラムについて問題にすべきことは、正しいか間違っているかではなくて、修正が可能かどうかという点にある。知的な産物に対するこのような見方が、より大きな文化全体の知識や知識の獲得に対する考え方に及ぶなら、我々が誤りを恐れて萎縮することも少なくなるだろう。
第1章 コンピューターとコンピューター文化 P31より
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人は失敗から何かを学ぶときに大いなる力を手に入れる。昔からこの考え方はあったかと思います。しかしコンピューターが誕生し、プログラムという知的な産物が生まれ人の暮らしが豊かになる過程と同じくして、正解ばかりを追い求めてしまいチャレンジを見失うこともしばしば見受けられますね。
総プログラマー時代に。
失敗していい場面で失敗できないことほど、子供や若手の成長の機会が奪われていると上に立つものは理解しないといけない。そしてコンピューターだからこそ、そんな失敗をいつでもおこなえていつでもデバグできるという心理的安全な場が提供できているのかもしれないです。IT企業で良かったな!
7つの習慣の序文に「非難と被害者意識」という項があり、そこに「人は何か問題にぶつかると、他者に責任を押しつける傾向がる」という被害者観点が書かれています。世の中総プログラマー時代に向かっている昨今、ミスしても修正できる感覚をプラグラミングから学んでみてもいいのかもですね。
最後に。
なんだかとりとめのない一回目になりましたが、不定期で「マインドストーム」について書いていければなと思います。ちょっとざっくりと一部の文章だけを切り取ってしまっているところもあるので「?」ってなることも多いかなとは感じますが、どうぞお付き合いのほどよろしくお願いします。