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「◯◯◯をレゴ®シリアスプレイ®でやりたい」を探しています。
こんにちは。昨日は一日中イベント参加だったので疲れてしまい、気づいたら寝ていました。それでも朝はルーティン。日本人らしい生活です。
リードフォーアクションを体感する。
そのイベント。レゴ®シリアスプレイ®とリードフォーアクションを組み合わせた内容。そもそも「リードフォーアクションってなんやねん」な脳みそだったので興味津々でした。
まあ、もともと本が好きな性分でもあるので拒絶感などは存在しないし、事前に本を読まない読書会なんて、乱読家を気取っている身としては「どんと来い」なんて気持ちもありました。そういう意味でもかなりの学びになりましたし、自分でも実施してみたくなるような、そんな思いに駆られました。
レゴ®シリアスプレイ®が「やりたいこと」にはなってはいけない。
やはりというかなんというかですが、レゴ®シリアスプレイ®メソッドとは「目的」ではなくて「手段」なのだなとつくづく思います。「レゴ®シリアスプレイ®をやりたい」という言葉はいまや死語で、間違いなく「◯◯◯をレゴ®シリアスプレイ®でやりたい」に取って代わられていくはずです。
認定ファシリテーターがこんなことをいうのもなんですが、レゴ®シリアスプレイ®は「場の空気」は変えられると思うけど、「やりたいことそのものの空気」を変えるには「Why」とか「目的」とかが必要になる。そこをしっかり理解してもらわないと、ワークショップを実施しても無駄になるのです。
いまごろ「日本辺境論」を読む。
さて、まったく話は逸れていくのですが、ようやく「日本辺境論」を読み切りました。乱読家の名が廃ります。
どんだけ時間かかっとるねん、と言われても何の反論もできないです。念のため言い訳がましく書いておきます。実際のところ、それほどじっくり本を読むたちでもないのに、なぜだか同じところを繰り返し眺めてみたりしているうちに相当な時間が経ってしまった。それくらい学びが多い書籍でした。
もしかして目的になりえる?のか?
あ、ただし学びといっても論じている中身がというわけではなく、辺境にいる日本人にとって重要なことってなんだっけ?という感情が改めて浮かんできたなという話です。とくに表意文字と表音文字の件はなんだかインスパイアされた気持ちですね。これはものすごく大事なところかなと感じました。
上記で「レゴ®シリアスプレイ®は目的じゃない」なんて書いておいて掌返しかもしれないですけど、この漢字とひらがなかたかなの関係性などは、レゴ®シリアスプレイ®でなければならない目的、と言ってしまってもいいのかもしれません。ちょっとうまく言い表わせないのですが、気づいてください。
最後に。
リードフォーアクションのようにレゴ®シリアスプレイ®を手段化できるものを見つけていきたい、そう思います。「スポーツファン改革をレゴ®シリアスプレイ®でやりたい」なんてのは素敵なフレーズですね。
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