レゴ®シリアスプレイ®はなぜ必要なのか<その2>。
こんにちは。また少し旅に出ていたために書くのが遅くなってしまいました。10月もいくつかの都市へと向かうので、この週末は羽根を休めたいと思います。
「ヒト」がレゴ作品に命を吹き込む。
レゴ®シリアスプレイ®の魅力のひとつが「ストーリーテリング」です。レゴ作品を使って仲間に物語を伝えていくのですが、ここに「レゴブロックを使う」ことの意味が多く含まれていると考えています。ブロックの種類、色や形、それらが組み合わさって生まれる形状には都度、命が宿っていきます。
おかしなことはなにも申していません。ヒトには元来、物に命を吹き込むという能力があります。例えば職人はひとつひとつの作品に魂を入れていきますよね。同様に、自分自身の頭にある考えや、言葉にならない言葉を形にしていくことで作品となり、命を吹き込むかのように作品に意味をつけます。
「ヒト」中心のデザイン思考との関係性。
仕事柄、デザイン思考で物事を考える機会が多いです。このデザイン思考的アプローチはとても画期的で柔軟、ヒトを中心に捉えた考え方は非常にわかりやすいです。個人的にも観察し、発散/収束を繰り返し、プロトタイピングしてトライ・アンド・エラーを毎日のように実施している気がします。
我らの師でもあるロバート・ラスムセンもこのデザイン思考をより良いものにするために、以下の4つの主要な課題をレゴ®シリアスプレイ®で克服できると実証しています。
#1 時間的制約による「深さの欠如」
#2 言葉/雑音による「認知的疲労」
#3 人間的アプローチによる「実態のないものを捉える」
#4 ファシリテータによる「エネルギー効率の最適化」
「ヒト」中心で考えるその「ヒト」に必要なのは。
IDEOさんのサイトにも書かれているとおり、いかなる組織・個人も「正解のない課題」に向き合って、そして「今まだ存在しない価値をつくる」ことを求めて活動をしています。そこで大事になってくるのが、その組織・個人とは一体何者なのか、なぜここにいるのか、を明確にしていくことですね。
それは「理由はなにか」ではなく「大義はなにか」。自分たちの存在意義、すなわちアイデンティティがそこにあるか。ヒトを中心で考えるに先立ち、考えるヒト同士の共通理解とは一体なんなのか。技術やテクニック、知識や知恵の前に必要な要素なのではないか。いつもそう考えたりしています。
「ヒト」が織りなす「作品」中心の会話。
会社で自分自身について語るというのはものすごく勇気が必要です。いくら心理的安全性の場が提供されていたとしてもそのハードルはとても高い。だからこそレゴ作品に命を吹き込み、その作品自体が語っていくわけです。レゴ®シリアスプレイ®は「ヒト」が織りなす「作品」中心の会話の場です。
作品の良し悪しでも語彙力の高低でもなく、レゴブロックのひとつひとつがヒトの物語を形成していく。このレゴ®シリアスプレイ®メソッドは実際に体験することでこの「ストーリーテリング」の理解度が格段に高くなると思います。そのために多くの認定ファシリテーターは日々努力しているのです。
最後に。
ちょっと出張が多くて疲れてきた。来週は内定式があるし、レゴ®シリアスプレイ®ワークショップもあるし。これはこれで大変だけど楽しくて仕方ないです。