見出し画像

一日24時間は誰のために存在している?を7つの習慣とレゴ®シリアスプレイ®で考えてみる。

こんにちは。映画「ドリーム・シナリオ」を見てきました。なんだか世の中の縮図のように感じて恐くなってしまった。今の時代、一寸先は闇。幸せと不幸、絶頂と没落は背中合わせと言うほかない。


第Ⅰ領域と第Ⅱ領域の関係性。

最近この本を読んだ。以前にも改訂前の同書籍を読了していたのだけれど、五十路を迎えて改めて感じることが多かった。100歳まで生きようとは思っていないものの、それでも老後については色々と考えてしまう今日この頃。それは期待とも呼べるし逆に不安でもある。胃の痛い毎日でもあるのだ。

個人M&Aサービスのアカウントだけでも作っておくかとか思い立つ。しかしながら急遽の連絡が入り、気がついた頃にはそんな話がなかったことになっている。まさに第Ⅰ領域と第Ⅱ領域の関係性。先の話をタスクにせず放っておくことになるとは。やっと再度チャレンジした、という始末でもあった。

大事を小事の犠牲にしてはならない。

実のところ忘れっぽい性格である。だから本来はすぐGoogleタスクに登録する。それでもやらないということは。昔先輩が「3日経って顔も名前も声も忘れるような人は多分自分の歴史に参加しない人」と自慢げに語っていた。エビングハウスの忘却曲線。忘れるには忘れるなりの理由が存在している。

ふと思い出したが7つの習慣「第3の習慣:最優先事項を優先する」の冒頭はゲーテのこんな言葉でスタートしている。「大事を小事の犠牲にしてはならない」。なんと深い文章だろうか。大きな石(重要なタスク)から予定を入れていく手法は以前にも書いたけれど、結局、人にできる範囲には限界がある。

今は「石」の動画が見れなくなっているが、シェアしておく。

「怠惰の嘘」と7つの習慣。

最近、「怠惰の嘘」について調べることが多くなっている。自分自身も結構色んなものをタスクに入れたり、そのタスクがクリアできているかどうかが気になって仕方ないほうではある。しかしながらこの「怠惰の嘘」では、それほど気にしなくてもよいのではないかと言っている。少しだけ気楽になる。

スティーブン・R・コヴィー博士によると、「怠惰の嘘」はイコール第Ⅰ領域への依存では無いのかと書いているフシがある。

緊急だが重要ではない第Ⅱ領域の用事を第Ⅰ領域の用事と思い込み、それに多くの時間を費やす人もいる。緊急だから重要なのだと思い込み、緊急の用事のすべてに反応し、ほとんどの時間を使ってしまうのだ。だが、それらの用事は自分にとって緊急なのではなく、ほとんどは他者の優先順位からきているのであり、早く対応してほしいと期待されていることなのである。

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 人格主義の回復」
「第3の習慣:最優先事項を優先する」第Ⅱ領域
より引用

もうすべてこの一文にたどり着く。この年齢になり、他者に振り回される人生を減らし、自分のことに集中する時間を多く取るように努力している。極力SNSから遠ざかり、他人の関心事に意識がいかないよう、できうる限りの範囲を明確にした。それもこれもミッション・ステートメントが中心だ。

7つの習慣の素晴らしいところ、それは、他の著者の書籍であったとしても、あらかた物事の本質について鋭く踏み込んでいることだ。だからこそ何度でも繰り返し読めるし、読んでいても飽きない。次々と新たな発見が手に入り知見が増えていく。二十代の頃から読んできているにもかかわらず、だ。

一日24時間は自分のために存在している。

ようやく自叙伝的小説を書籍化しようと決心がついた。そのための校正の時間に多くを費やしたいと思っている。人間には一日24時間の枠しか与えられていない。その枠をどう使のか。そこに人間の人間たらしめる理由がある。そして、一日24時間は自分のために存在していることを忘れてはいけない。

だから「自分とは何者なのか」を正しく見定める必要がある。先日もあるレゴ®シリアスプレイ®ワークショップで、そのテーマについて作品を製作した。コアなアイデンティティと日々の変化。そうやって自分が何者かを理解していく。自分自身がわからなければ、パラダイムが変わることはない。

作品を制作するたびに自分自身の正体が見つかる

最後に。

自分の「一日の型」を見つけるのもありだろう。そうすると24時間のありかたも見えてくる気がする。カスタマージャーニーマップなどを利用して自身のゲインポイントやペインポイントを探すのもよいけれど、やっぱりレゴ®シリアスプレイ®で仲間と刺激し合うのもの一考の価値があるのだと思う。

いいなと思ったら応援しよう!