【感想】Amazonドラマ『フォールアウト』シーズン1
最初に一つお断りを。
自分は原作ゲーム『Fallout』シリーズは未プレイです。
原作との比較は既に多くの考察や論考が出ていますし、自分はこのドラマを手がけたジョナサン・ノーランのファン目線から感想を書ければと思います。
クリストファー・ノーランが映画『オッペンハイマー』でアカデミー賞を受賞したのは日本時間2024年3月11日のこと。
それから1ヶ月後の日本時間2024年4月11日、弟のジョナサン・ノーランの新作が全世界で一斉配信された。
こちらは映画ではなくドラマ『フォールアウト』
原作は大ヒットゲーム『Fallout』
ゲーム原作のドラマといえば2023年にHBOから放たれた『THE LAST OF US』が記憶に新しい。
『THE LAST OF US』のストーリーは原作をベースに脚色された物語だったが、今回の『フォールアウト』は原作とは大きく異なるストーリー。
ただし完全な別物や外伝扱いではなく正史に組み込まれるそう。
ジョナサン・ノーランも製作総指揮としてこうコメントしている。
自分は原作ゲームは未プレイなので「Fallout 5のようなもの」という森田芳光監督を思わせる表現を原作ファンがどう感じるのかは分からない。
ネット上の声を(もちろん全ては到底追えないので)ざっと読んだ限りでは原作ファンからも世界観の再現度は好評なようだ。
少なくとも「こんなもんがFalloutの正史?ふざけんな!」みたいにはなってなさそう。
そんな本作を手がけたのはノーラン兄弟の弟であるジョナサン・ノーラン。
厳密には製作総指揮および第1〜3話の監督という立場であり、ショーランナーや脚本家は別の人に任せている。
とはいえメディアではジョナサン・ノーランの名前で宣伝されているし、前述のインタビュー記事からも分かるように作品の細部にも関わっているっぽい。
そのキャリアは兄であるクリストファー・ノーランとの共同脚本からスタート。
兄の出世作『メメント』の原作は弟の短編小説(映画のクレジット上は兄の単独脚本)
そして言わずと知れた金字塔『ダークナイト』
(こちらはクレジット上もノーラン兄弟の共同脚本)
兄弟で一緒に仕事をしたのは2014年の『インターステラー』が今のところ最後になっている。
その後のクリストファー・ノーランの作品を並べると、フィルモグラフィーの中でもひときわ異彩を放つゴリゴリのSF考証は弟が脚本に入ったのが大きかったのかなぁと思わずにはいられない。
『ダンケルク』以降は時間操作への執着が顕著に。
独り立ちした弟は映画ではなくテレビドラマの道へ。
2011年に『スター・ウォーズ』と関わる前のJ.J.エイブラムスと組み、CBSで『パーソン・オブ・インタレスト』を発表。
自分がCS放送で観てたの10年以上前かー
2013年4月はまだ「ネット配信ドラマ」という概念すら怪しい時代。
ちなみにマイケル・エマーソンは今作にも出演。
すぐ首を切られて死んじゃったけどw
『パーソン・オブ・インタレスト』が完結した2016年からはHBOで『ウエストワールド』
アマプラ → スターチャンネルEX → U-NEXTと配信サービスを渡り歩いてシーズン1からシーズン4までほぼリアルタイムで見届けました。
ジョナサン・ノーランの中にはシーズン5の構想があったみたいだけど残念ながら打ち切りに。
個人的にはシーズン4の幕引きはそこまで尻切れトンボ感も無かったように思うんだけどな。
これら過去作は最新作の『フォールアウト』を鑑賞する上で非常に重要な補助線になってくれた。
まずはやはり圧倒的なSFの世界観。
『フォールアウト』の世界観は『ウエストワールド』と遠からず。
近未来テクノロジー×西部劇。
特にジョナサン・ノーランが監督を務めた第1〜3話は引きのショットが多くてめちゃくちゃ贅沢だった。
「あぁ、本当にこういう世界が実在するんだ」と信じさせてくれるから没入できる。
SFで引きの画ってボロが出やすい所に自ら飛び込むわけですからね。
自信と余裕、そして意気込みの現れ。
ちなみにさっきから第1〜3話ばかり取り上げてますが、第4話以降も『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』のクレア・キルナーや『SHOGUN 将軍』のフレデリック・E・O・トーイといった面々が監督を務めてます。
演出スタッフに死角なし。
そして『ウエストワールド』を観た人なら思わず笑いそうになるのが帽子を被った黒服の男w
まぁこれはご愛嬌?w
テーマも実にジョナサン・ノーランっぽい。
『パーソン・オブ・インタレスト』や『ウエストワールド』でも描かれてきた自由意志と決定論、平たく言えば「決まっている運命にどう逆らうか?」が今作にも継承されている。
(そういえば『インターステラー』も決定論のお話でしたね)
今作では核が落とされる未来をひょんなことから知ってしまうクーパー・ハワードやBOSの規律に従って人生を全うするはずだったマキシマスが特にテーマを背負っている。
一方でルーシーはまだ自由意志の入り口に立ったばかりといったところか。
ちなみに調べた限りだと原作にもそういう要素はあるっぽい。
となるとジョナサン・ノーランと原作を引き合わせた人がいるのか、はたまたノーラン自身が企画を持ち込んだのかは不明だが何にせよ慧眼である。
作品を通じたノーラン兄弟の共鳴も興味深い。
やはり第1話の冒頭から「おぉっ」と思わずにはいられないのが核戦争の描写。
原爆の父を描いた兄
核戦争が起きた後の終末世界を舞台にしたSFを作った弟
題材が題材だけに無邪気には喜べないし、単なる偶然なのかもしれないが、ノーラン兄弟が共に作品を通じて核戦争に言及しているのは興味深い。
そして舞台がロサンゼルスとなれば出てくるのはハリウッド。
Hollywood Forever Cemeteryの登場をどこまで深読みするか迷うところだが、映画を守るべく奮闘する兄とテレビドラマの世界に軸足を移した弟の現状を踏まえると色々しみじみ考えてしまった。
さて、この文章を書いている日の朝にこんなニュースが。
シーズン2も楽しみ。