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【感想】日テレ土曜ドラマ『初恋の悪魔』第2話
初恋の悪魔(7/23):第2話にして早くもミステリー要素が兄弟ドラマの布石に後退。初回よりは見やすいが、それでもまだ掴めない。仲野太賀は日本ドラマ史に残る名演。結婚やブランコで『大豆田とわ子』を匂わせておいてのオープンマリッジというカードの切り方も面白かった。 https://t.co/lPMBsdBhra
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) July 23, 2022
本題に入る前に少しだけTBS金曜ドラマ『石子と羽男』の話を。
石子と羽男(7/22):第2話。身近な相談と社会的イシューを結び付けて描くという本作の型が見えてきた。それはさておき次々切り替わるアングル、事務所の2階やキッチンを使った空間演出、塾構内での横移動カメラワーク…塚原あゆ子監督ってあんな変態的な演出する人だっけ?w https://t.co/W2dmucp6Rj
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) July 22, 2022
1話完結型の連ドラには基本的にフォーマットが存在する。
『石子と羽男』の場合は身近なトラブルの法律相談の背景に社会的イシューを紐付けて描く形になる模様。
カフェで充電してたら怒られた→職場でのパワハラ
子供がスマホのゲームに多額を課金してしまった→シングルマザーの子育てや親ガチャ
第1・2話で視聴者を掴むためにも型を確立するのが定石である。
その翌日に見た『初恋の悪魔』第2話。
先週の第1話は病院で起きた事件を1時間かけて解決。
近年の坂元裕二作品には珍しく1話完結型のミステリードラマ。
かと思ったら第2話の事件は割と早めにあっさり解決。
本作の縦軸である兄弟ドラマへの布石、もっと身も蓋もない言い方をすれば前フリに後退。
「加害者を裁かないこと。被害者に同情しないこと」というルールを自ら宣言していた通り、殺人事件をドラマとして描くことには興味が無いということなのだろうか?
どうやら次回以降も事件は前フリ…?
尤も、戸惑いを多分に含んでいた第1話に比べれば坂元裕二らしさが戻ってきていた。
まずは冒頭いきなり悠日(仲野太賀)の結婚エピソード。
鈴之介(林遣都)の口からは『大豆田とわ子と三人の元夫』第1話終盤の印象的なシーンを彩った「ブランコ」というキーワードも。
離婚をテーマにした傑作ドラマを多数書いてきて今作は結婚か〜なんて思っていたら行き着いた先はオープン・マリッジ。
これは様々なリレーションシップ(家族の形)を描いてきたNetflixドラマ『マスター・オブ・ゼロ』の参照と見て間違いないのでは?
アジズ・アンサリの日本公演を観劇していた坂元裕二。
(まぁそれを言うなら『大豆田とわ子と三人の元夫』だって『マスター・オブ・ゼロ』を参照していたわけだが)
ただ、ツイッターを軽く眺めた感じ「あんなものは浮気を正当化する詭弁・屁理屈だ」という声も散見された。
まぁ確かに訴訟対策と称して会話を録音してるし後ろめたいと感じてるようにしか見えないか。
本来オープン・マリッジやオープン・リレーションシップは浮気とは異なる概念なので、今後あの悪印象の修正が図られるかは注視かなと。
坂元裕二ファンとしては本作によって変な誤解が広まる不幸だけは避けてほしいなぁ…
ファイルからはみ出るサイズの書類や大福から落ちる粉など「警察組織、ひいては社会からこぼれ落ちる人々」を描こうというほど分かり易すぎるほど分かりやすい描写も。
第1話に比べるとかなり坂元裕二の作風が出てきて見やすくなっている。
そしてクライマックスは仲野太賀の名演による悠日から亡き兄(毎熊克哉)への電話シーン。
「死んだ人にも今からだって気持ちは伝えられる」というのは『大豆田とわ子と三人の元夫』の小鳥遊(オダギリジョー)の名台詞と呼応する。
過去とか未来とか現在とかそういうのってどっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。
時間って別に過ぎてゆくものじゃなくて、場所っていうか別のところにあるみたいな。
人間は現在だけを生きてるんじゃない。
5歳、10歳、20歳、30、40、その時その時を人は懸命に生きてて、それは別に過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。
あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし、5歳のあなたと5歳の彼女は今も手を繋いでいて。
今からだっていつだって気持ちを伝えることが出来る。
人生って小説や映画じゃないもの。
幸せな結末も悲しい結末もやり残したことも無い。
あるのは、その人がどういう人だったかっていうことだけです。
だから人生には2つルールがある。
亡くなった人を不幸だと思ってはならない。
生きてる人は幸せを目指さなければならない。
人は時々寂しくなるけど、人生を楽しめる。
楽しんでいいに決まってる。
もちろんあの電話は歴代の坂元作品に何度も印象的なアイテムとして登場してきた手紙の変則パターンでもある。
表出した言動と本音は裏腹というのも坂元作品で幾度となく語られてきたテーマ。
例えば『カルテット』
「行間。好きな人には好きって言わずに会いたいって言うでしょ? 会いたい人には会いたいって言わずに、ご飯行きません?て言うでしょ。言葉と気持ちは違うの。
こんなのデートじゃないんだからね!って言うのは、デートでしょ?絶対に怒らないから本当のこと言ってって言われて本当のこと言ったら、めっちゃ怒られるでしょ?それが行間!」
(家森諭高)
ただ、劇伴から画面の色彩設計に至るまで全てが完璧だった『大豆田とわ子と三人の元夫』に比べるとまだ若干もっさりしてる感は否めない。
何だろう?
主な舞台が警察署内とリビングで狭くて殺風景だから美術を含む空間的な面白さがもう一つ出てこないのかな?
録画で見返して思うのは画面設計が平面的な気もする。
まぁ第3話も見るんだけどさ。