【感想】劇場映画『怪物』
日本を代表する映画監督の是枝裕和とこれまた日本を代表する脚本家の坂元裕二。
これまで全く接点が無かったわけでもなく、お互いの作品をそれとなく意識してるっぽい雰囲気はあったものの共作は実現しなかった。
そんな2人の初タッグが突然発表されたのが昨年11月。
2人を引き合わせたのは東宝の川村元気プロデューサーだったそう。
Netflixドラマ『舞妓さんちのまかないさん』で出来たコネクションが活きたのだろうか?
キャストは『万引き家族』から安藤サクラが再び是枝作品に出演。
『万引き家族』からは片山萌美も週刊誌の記者役で出演してましたな。
それ以外のキャストは坂元作品を彩ってきた面々が多め。
まずは『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』から永山瑛太
『Mother』『Woman』『anone』『初恋の悪魔』から田中裕子
『問題のあるレストラン』から高畑充希
『大豆田とわ子と三人の元夫』から東京03角田
そんなわけで鑑賞前は「坂元裕二の色が濃い作品になるのかな?」と思っていた。
坂元裕二自身も
と半ば自虐的に語っているが、自分も是枝作品の魅力は脚本と役者の演技(それを引き出す是枝監督の演出も含む)の2本柱にあると思っている。
その内の1本を坂元裕二に渡したわけだしな…というのが鑑賞前の予想。
しかし、いざ出来上がった映画を観たら決して坂元裕二カラーの一辺倒というわけでもなかった。
冒頭、いきなり安藤サクラと野呂佳代が仲良く会話していて、そのすぐ後のシーンで「生まれ変わり」なんてワードが出てきた際にはドラマ好きとしては一瞬ノイズになりかけるw
冗談はさておき、自分は本作はコミュニケーション(他者との分かり合えなさ)についての映画だと思う。
坂元裕二は本作の脚本において、彼の作家性と言うべき言葉選びのマジックが炸裂する台詞回しを封印している。
(むろん「そういう“SNS映え”しない台詞にこそ坂元マジックの真髄が宿るのだ」という話もあるのだが、それは別の機会に)
自分の印象ではそういう台詞は鈴村広奈(高畑充希)の
ぐらい?
あとは終盤に校長先生(田中裕子)が麦野湊(黒川想矢)に言う「幸せ」に関する台詞も印象的だったか。
全編に固有名詞を散りばめて珠玉の台詞を連発していた『花束みたいな恋をした』とは対照的。
近年の作風だったコメディタッチも封印。
(ただし、上で挙げた日テレ水10枠ドラマの作品群に代表されるように社会派シリアス路線は新境地ではなくむしろ久々の凱旋・回帰と見るべきだろう)
その代わり今回の脚本の妙は構成。
ある出来事を三者の異なる視点から、映画自体も三幕構成という黒澤明の『羅生門』と同様のスタイルを採っている。
近年ではリドリー・スコットの『最後の決闘裁判』や廣木隆一監督の『母性』でも見られた構成。
映画が進むに連れて前半に出てきた描写について「そういうことだったのか」と納得感が増していくのは内田けんじ監督の『運命じゃない人』も近いか(これはコメディだけど)
この構成により観客の視点からは劇中の登場人物の分かり合えなさが浮き彫りになる。
そしてこれは是枝監督自身が近年ツイッターをはじめとするインターネット上で幾度となく巻き込まれてきたディスコミュニケーションを描いているようにも見えてくる。
もはやそのフレーズ自体が新たな火種を投下しているのをよく見かける「誤解を与えたのであれば」式謝罪だけでなく、予告編にも使われている麦野早織(安藤サクラ)の
まで批評の射程に引き入れるとは恐れ入る。
「自分は正しい」こそがディスコミュニケーションの一歩目なのだと。
星川清高(中村獅童)の息子に対する「お前の間違った考え方を治療して変えてやる」という非常にグロテスクな発想も批評の俎上に。
他者へのリスペクトや相手を思いやることの大切さを描いて世界中で大ヒット&エミー賞連覇中のApple TV+ドラマ『テッド・ラッソ』が完結したタイミングで坂元裕二から本作が世に放たれたというのも興味深い。
また、本作では全編を通して「炎上」「間違いを糾弾する」「無かったことにする」ということを彷彿とさせるモチーフが登場する。
火事
クリーニング屋(汚れを綺麗に落として無かったようにする)
誤植を見つけて出版社に連絡
テレビのドッキリ企画(酷いことをした後でネタばらし)
豪雨
これもまた糾弾→炎上→忘却のサイクルを表しているのかもしれない。
ただ、クリーニング屋の設定に関しては『万引き家族』でも安藤サクラはクリーニング工場で働いていたし、是枝監督の前作『ベイビー・ブローカー』でもソン・ガンホ演じる主人公はクリーニング屋で働いていたので、別に本作固有の何かに基づくモチーフではなく皆目見当違いかもw
タイ映画の『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』でもクリーニング屋がそういうモチーフ的に機能していたのを思い出して、観ている最中は「我ながら良い読み解きだ」と悦に浸っていたのですがw
ちょうど(?)『ベイビー・ブローカー』の話題が出たので撮影監督がホン・ギョンピョから近藤龍人に戻った映像面のことを。
『万引き家族』と本作の間に石川慶監督の『ある男』でも安藤サクラを撮っている名手・近藤龍人。
今作では第一幕と第二幕は家や校長室、車内など屋内の狭い空間が舞台ということもあって割と抑制的な印象だが(意図的に冷たい印象の映像にしている?)第三幕に入ると一気にエンジンがかかる。
舞台が屋外の山になることもあり、子供2人だけの時間を持ち味の温かみのあるショットで捉えていく。
2人が走るシーンではカメラもダイナミックに動く。
何というか、あの場所で一緒に遊んだという劇中の事実はもちろんあるのだろうけど、思い出や感情のフィルターが乗ったどこかフィクショナルな感じもする映像というか。
(逆に第一幕と第二幕はあくまで事実を映しているイメージ)
ただ、個人的に最も印象に残ったショットは保利先生(永山瑛太)が集まった保護者に謝るシーン。
第一幕は謝罪の言葉を聴く安藤サクラのワンショット。
第二幕は保利先生のバックショットから保護者たちの顔はピンぼけで見えない構図になっている。
加害者にとっては自分一人でも被害者にとっては顔の見えない有象無象のone of them。
まるでSNSにおける誹謗中傷・正義中毒を映像表現に落とし込んだようで見事だった。
長くなってきたので以降は殴り書き気味になりますが(笑)、2人の男子と電車といえば『奇跡』のセルフ引用だし(是枝監督は鉄道ファン)さらに源流を辿れば『スタンド・バイ・ミー』
あの鉄橋はオマージュ?
面会室のシーンは『三度目の殺人』を思い出すし、そもそも「真相は一体何なのか?」というテーマも通じている。
それこそ是枝監督は『真実』という映画も撮っているし。
この辺りの傾向は是枝監督がテレビのドキュメンタリー番組出身というのも関係あるだろう。
坂元裕二の脚本でありながら自分にはやっぱり是枝裕和の映画という印象が強い。
(全然悪いことではありません。念のため)
ただ、終盤に出てくる「気持ちを音楽に乗せて吐き出す」という台詞にはヒップホップに造詣の深い坂元裕二の色を感じた。
さすがに今回は誰もラップ歌わなかったけどw
そう、本作の音楽を手がけたのは坂本龍一。
私ごときの駄文でグダグダと多くは語るまい。
一言だけ。
本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。