積み減らしのススメ
生きること、また何かを望むことは別々なことだ。大切なのは、何かを欲したり望んだりすることを諦めないことだ。それ以外のことは、私たちの知ったことじゃ無い。
こんなことを何気なくかいていると、YouTube撮影に使う照明の待機中につくライトと目が合い、それがいつもより少し眩しく感じる。
何かを普段より眩しく感じる、これは陽性症状のときや体調が悪くなったときにありがちな症状だ。私はいつまでこの袋小路にいるのだろう。
なぜか?それは多分、私は英雄になろうとしているからだ。
英雄…!私はそれがどんなものかをよく知らない。そして私はそのよく知らないものになろうとしている。
だからなんでも知った口ばかりを聞きたがる。
それはまるで、キツくてサイズの合っていないベルトに縛られているようなものだ。
私は英雄というものをよく知らないが、もしそいつが自分の出来もしないことをしようとしているのなら、そいつは単なる嘘つきだ。
ーそれではつまらない。ウソから始まる真実もあるはずだ。自分の中の自分がそう呟く。
そうかね?もう一人の自分が反論した。
「英雄とは、自分にできることをする人のことだ」
かつてノーベル賞を受賞した作家であるロマン・ローランは、彼の代表作品である「ジャン・クリストフ」の中にこんな言葉を残した。
これは実は諦めの言葉では無い。だから実際にこの作品の主人公であり、作曲家を目指したクリストフ(あの偉大なる作曲家、かのベートーベンがモデル)は叔父であるゴットフリートからこの言葉を受けたその時期はまさに「最悪」だった。作曲家としてもうまく認められず、自暴自棄になり、酒に溺れた結果、恋愛にも敗れた時だった。彼はこの言葉を受けた後、悟るものがあり、のちに彼は本当に偉大なる作曲家になってゆく。
話を戻すとあなたが望むことは、あなたにとってできることなのだ。逆説的のようだがだからこそ、それを望めるのだ。
またそこに苦痛を感じていたとしても、その経験が学びに繋がり、たとえそこから耐えきれず逃げた(ある意味でその行為は、弱いあなた自身をより強くて大きなあなたで、許し認めてあげること。だからそれは時に勇気も伴う能動的な行為)としても、あなたのあなたすら知らない本当のあなたが望む夢や価値観を発見することにまた一歩近くことになる。実際俺もインドネシアでのビジネスはいくつか課題があって、それに苦しんでいる。孤独にも。たまに嫌な妄想もいまだに少しある。だがそのストレスを解消する為にブログや書き物を始めた。そのおかげで副次的ではあるが自分の人生をより明確に、そして躍動させるものに寄与している。
だからこそもしあなたが英雄になりたいのなら、英雄とは何かを自分の中で明確にする必要がある。それを目の前で見て、聞いて触われるほどに。匂いを嗅げるほどにあなたの意識の中に、それを明確にする必要がある。
あなたにとって英雄とは何ですか?
それは私にとって自分の使命を決して諦めない人。人の言葉ではなく、自分の言葉で語る人。(時として引用はするが、それは自己の思考や言葉をより明確にする為)、人の人生ではなく、自分の人生を生きている人。他者から見た時に結果的に、他者の人生に影響、感化を与えるエネルギーに満ち溢れた人。
意識が過去や未来ではなく、「今、ここ、目の前」の本当のその人固有の課題に突進している人。目の前のあなたが泣いた時に一緒に泣いて、笑った時には一緒に笑えるような人。
そう、あなたの望むものをより明確に描き出すのだ。その材料がなければ、大いなる存在、例えばどんなに腕のいいコックがいても、それをうまく仕上げることはできないだろう?
そしてそれがより明確な人は信念がある人と言われるだろう。何かを信じぬく念がものすごく強い人とは、つまりそれが見えているのだ。見えるほど、それを考え続けた人なんだよ。
だからそれを中心に生きてほしい。むしろそれができないのならそれは多分あなたの本当の使命ではない。しかし今は情報過多な不幸なる時代だ。
これ程までに他者の人生が垣間見え、多くの人が比較という、精神にとって有害なものに当てられている。それらを全て消せば良いものを。
だが SNS、例えば Instagramなどは知り尽くしている。時に不安を煽り、いかに人を依存させるかということについてだ。
「人生の正解はこうですよ」
「お金を稼いで、高級車に乗ってくださいね」
「服はこういったブランドが、みんなが好きっていっていますよ。だからあなたもそうしないと、流行りから遅れてしまいますよ。」
吐き気がする。まず私はそこから抜ける為に、いくつかのsnsを消した。それは私には過ぎたオモチャだからだ。
実は今は昔のように積み上げの時代は終わった。今は積み減らしの時代なんだ。今は本当に大切な価値観や物事を決断し、それ以外は捨てる時代。繊細な人にはそれをお勧めする。
かつてブッダが言ったように人が何かを望む心がある限り、不幸は一生絶えることはないだろう。だからこそ私の個人的な意見として言えば、僧侶になるまではしないとしても、社会と個人の幸せを求める上での適切な妥協点は積み減らしだ。
具体的な行動としては、私はTik Tokを始めとしたSNSを削除した。Instagramもそうしたいが、私は海外で生きているので人との連絡のツールとしてそれを使う必要があるのでまだ残しているが、こいつも絶対にいずれ消してやる。
私は自己の言葉で語り、人生の本当に大切な問題で悩んで来た人に連なりたい。
だからそう言った本を読み、自分の言葉として血肉にする為に、これを書く。その結果この俺の足跡が本当に少数でも、必要な人のところにそっと届いてくれることを望む。
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