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No.10「もう無理だ、そんなことはない」

「もう無理だ」と思う瞬間は、誰にでもある。
そこから追い詰められて、正常に戻ってこられない人もいる。
ただそれは本当にもう無理なことなのだろうか。
自分も「もう無理だ」と思ってしまうことがよくある。
だからこそ、このメッセージを、自分を含めた多くの人に贈りたい。

「もう無理だ、そんなことはない」

もう無理なんてことはない、必ず道は拓ける。諦めたらそこで試合終了、という漫画スラムダンクの名言があるが、人生もまさにそうなのである。皆さんが辛い、「もう無理だ」と感じている瞬間は、考えることを諦め、解決への視野を狭めてしまっていることに過ぎないのである。

この考えを述べると、「考えるのを諦めているわけではない、考えてもできないからもう無理なんだ」と主張する人がいる。この主張に対して、決して嘘をついていると、私は思わない。しかし、その主張は一概に「もう無理」なわけではなく、その人が考えている範囲、策では「もう無理」なだけであると私は思う。人は辛いことや、嫌なこと、困難なことがあるとその一点に意議が集中し、自分よがりな解決に走りたがる。何とかすぐに解決しないと、乗り越えないと、と焦るからである。ただ普段の事柄にそのように取り組むのだろうか、もっと人に頼り、人の手を借り、チームワークの基に解決を目指すのではないか。この仲間と協働する視点をいつ何時も失ってはいけないのだ。あなたが「もう無理」と感じている時、あなたは自分ひとりでその問題を解決しようとはしていないだろうか。自分を一歩ひいて見ることができれば、あなたは自分の周りには多くの仲間がいることに気づくことができるだろう。家族に、先輩に、後輩に、友人に、あなたの周りには仲間が溢れている。辛い時こそ、自分ばかりを見てはだめだ、自分を責めることに何の意味もない。辛い時こそ、周りを見て、仲間を頼ればいいのだ。あなたに課せられた責務でもあなたには無理なことがあるかもしれない。それは当然のことで、おかしいわけでも、あなたが間違っているわけでも決してない。人には得手不得手があるのだ。その時は、丸投げだってなんだって、人に任せてしまえばいい。人に任せることを不安に思うかもしれないが、自分が「もう無理だ」と感じている時に、あなたを助けてくれない仲間などいるはずがない。落ち着いて自分の仲間を思い出せば、納得できることだろう。辛い時はいくらでも頼ればいい、そこであなたが求められることただ一つ。次に仲間が困っていた時、仲間がしてくれたようにあなたが全力で仲間を助け、仲間の「もう無理だ」を解決すること、ただその一つなのだ。そのように、仲間と協働し、助け合いさえすれば、「もう無理」なんてことは存在しない。

本旨とは少し逸れるが、自分が「もう無理だ」という状況から学びを得た話を1つ記そうと思う。これは自分が大学時代に弓道でイップスになった時の話である。イップスを簡単に説明しておくと、スポーツにおいてある特定の状況になると突然体が動かくなるなどの症状を引き起こす精神病の一種である。私の場合は練習では普通に矢を放てるのに、試合になると、途端に体が金縛りにあったように硬直し、動かなくなるといった症状であった。私は大学2年生から大学4年生を終えるまでの3年間、イップスに苦しめられ、試合で満足のいくバフォーマンスを発揮できたことは1度もなかった。正直、大学3年次くらいには「もう無理だ」という感覚はあった。勿論、色んな人に頼り、教えを乞うた。しかし、自分が選手として活躍したいという想いがある以上、仲間に頼ることにも限界があり、自分で解決するしかない問題だった。私は、自分なりに「もう無理だ」という気持ちを押し殺し、諦めずに足掻き続けた。練習を工夫し、誰よりも練習した。練習のバフォーマンスは上がり、試合にも出場し続けた。今思えば、どこか「もう無理だ」と思っていた気もするし、試合に出場し続けていたことも自分のエゴで適切ではなかったと思う。ただ当時はがむしゃらにやっていて、そこまで考えが及んでいなかったというのも事実ではある。結局、私はイップスを克服することはできなかった。弓道というスポーツの側面では「もう無理だ」のまま終えてしまったのだ。ただ一方で少し綺麗ごとになるが、この「もう無理だ」が、自分の中で「もう無理だ」であり続けたかと言えば、決してそうではないように思う。弓道生活を終えてみて、確かに弓道の面ではどうにもできなかったが、「もう無理だ」を押し殺して懸命に努力した日々は決して無駄ではなかったと胸を張って言える。あの日々があったからこそ、粘り強く努力することの大切さや、困難に直面した人の気持ち、仲間の重要性など様々なことを学ぶことができた。確かに「もう無理だ」から本来拓きたかった解決の道とは異なる。しかし、数多くの学びを得ることができたことも立派な道を拓いた証であると私は思う。諦めずに考え続ければ、もしかしたら思い描いた道とは異なるかもしれないが、必ず道は拓けるということだ。だからこそ、諦めずに考え、行動し続けることには大きな価値があるのだ。

人が直面している困難は大小、人それぞれであり、一様に述べることはできない。
しかし、どのようなことだって必ず道は拓ける。
この文を読み切ったあなたはもう気づいているはずだ。

「もう無理だ、そんなことはない」と。

2022年4月6日 記

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