No.2「人生に於ける仕事の選択」
人生の時間は有限だ。決して無限なわけじゃない。
無駄なことをしている時間も、それが人生の一部であることは揺るぎない。
まさに「その時に合ったベストな選択を」
時間が有限な中で、その時々に最適な選択をしていくことが人生を豊かにする。将来を見据えて、を言い訳にして、その時に不適切と感じる選択をすることは誤りである。安きに流されろ、ということではない。不適切とは何か、それは一重に「挑戦していますか?」の答えに秘められていると私は思う。
人生100年時代と言われる中で、挑戦せずして、耐える人生に何の価値があるのか。何のために、誰のために仕事をするか、それは仕事の根幹であり、原点である。そこを明確にして、挑戦することができなくなったとき、それは仕事としての終焉であると言わざるを得ない。世の中にはやりたい仕事・やりたくない仕事が多岐に亘り、溢れている。やりたくないからと言って、やらなくてよい理由にはならない。なぜなら、仕事の根幹は何のために、誰のために仕事をするかであるからだ。目的に向けて、遂行する上で楽しいことばかりでは決してない、やりたくないことも多分にある。それは普遍的な事実なのだ。ただそれを乗り越えられる原動力は、何度もくどいようだが、何のために、誰のために仕事をするのかが明確であること、つまりその仕事が元来より有する意義なのである。
その仕事にお前はどういう付加価値を付けられたのか、仕事の意義を見出すのは自分だろという人がよくいる。私はこれを誤りだと考えている。付加価値を付ける必要がないから付けていないのだ、付加価値は目的を達するための手段であって付けること自体が目的になることほど愚かなことはなく、それはただの自己満足の迷惑行為に他ならない。後述についても、仕事は行い方、やり方次第で何倍も大きいバリューを発揮することがきる。しかしながらそれはその仕事が意義を有していることが大前提だ。価値を増幅することはできても、死者に命を宿すことができないことと同様に、意義のない仕事に意義を宿すことはできない。
人は自分の仕事を無駄である、つまり否定することを極度に恐れる。本来であれば、無駄な仕事は無くしたり、改善していかなければならない。しかしながら恐れた結果、皆が執る行動一様に「自己(仕事)の正当化」である。もちろん自己否定をした方が良いというわけではなく、自己への肯定感を高め続けることは非常に大切なことである。ただ一方で、「正当化」するべきなのだろうか。それは違うと思う。正当化に進み始めた瞬間、人の成長は止まる。正当ではない、その事実を認識として強く持ち、自己否定の瞬間も恐れずに向き合っていくことが人にとって本当に大切なことなのはないだろうか。この事実認識を行える者が社会には本当に少ない。この認識は自己否定にも繋がり、本当に難しい。ただこの一歩を恐れずに踏めるかどうかが社会人として、人として一歩前進できるか否かを分けるのだ。
「挑戦していますか?」これの答えが見えてきた頃だろう。「仕事の意義を明確に捉えて、一生懸命取り組む」に尽きるのではなかろぅか。意義を有さない、方向性の誤ったものに人生という貴重なリソースを割くこと、これほどまでに無駄なことはない。無駄なことに時間をいくら割いても、それを努力とは呼ばない。それほどまでに意義を捉えることは重要なのである。意義を捉えてこそ、スタートライン。初めて努力できる土壌が整うのだ。土壌を適切にするために、「その時に合ったベストな選択」が大切なのだ。ベストな選択を心掛けなければ、人間は安きに流れる。それは、精神力の強弱、能力の有無に関わらず、人の性である。だからこそ、挑戦するベストな選択をしていくことが強く求められる。
若い頃にしかできないことがたくさんある。
挑んでいく価値が人生にはある。
自分の可能性は無限に広がっている。
有限な人生の一瞬一瞬を大切に、挑戦的な人生を!
2022年3月24日 記
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