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「Endurance(持久力)〜 本と僕と教育と/Books, Me, And Education」2023年10月14日CreativeMorningsのための原稿。

2023年10月14日のCreativeMorningsのために書いた原稿を公開します。有難いことに、ご好評を頂くことができ、幾つかご質問も頂きました。その場を主催された方、参加頂いた方、皆様に感謝しています。

「Endurance(持久力)〜 本と僕と教育と/Books, Me, And Education」(原稿)

〈それは種子から花へ、花から実へとゆっくり成長する。それらには成熟するために無限の空間と天空の光とが必要である。そしてそれらの果実は侮辱と無視の年月を耐え抜くことができるのである。〉(ラビンドラナート・タゴール「ナショナリズム」より抜粋)

持久力は創造力と同じく、誰もが持っている力です。今回、わたしが持久力をテーマに皆様の前でお話をするのは、わたしの持久力が特別に優れているから、というわけではない事を、予めお断りしておきます。先ず「持久力」というテーマを聞いて、私が思い浮かべたのは「ダイエット」「マラソン」「筋トレ」でした。どれもわたしの苦手分野です。これらがわたしに想起させるのは、苦しくて、辛い、努力を要する習慣のイメージです。

持久力とは、私たちの内に燃えさかる揺るぎない炎であり、暗闇や不確実性を通り抜ける道を照らすものである。(Enduranceステートメント)

しかし、今回のENDURANCEの定義を詩的な表現で紹介した、マルタさんの文章を読んで、この言葉が指し示すものが、筋トレではなく、隠れキリシタン、一向一揆、ゲリラ兵、ブラジルの奴隷たちのダンスに模した格闘技「カポエイラ」として私にイメージされ直しました。これらの「プロテスト」は民衆の持つ根強い力、権力に飲み込まれず抵抗する力、を表現しています。人物でいうならジャンヌ・ダルク、シモーヌ・ヴェイユ、ローザ・ルクセンブルクをわたしは“ENDURANCE”という言葉から想起しました。

今回のテーマ“ENDURANCE”の紹介文は大変素晴らしく、みなさんとこのテキストを朗読する事に、私の持ち時間を全て捧げたい程ですが、僭越ながら先ずは自説を述べさせて頂くことをお許し下さい。

わたしが自分の中に認める持久力は、このテキストと照らし合わせて見ると、断続的で、心許ない持久力です。燃え盛る情熱、ほとばしるやる気、胸を張れる本気、信仰心に支えられたような、常に燃え盛る、確かな持久力の炎は、残念ながらわたしの胸には灯っていない。人から、君は本気じゃないと言われる事があります。悔しいけど認めます。でも、本気じゃないならやめろ、という意見には、反対します。ですがわたしは反対を主張しません。わたしには「本気じゃないならやめろ」説に論破される、残念な自信があります。わたしはわたしの熱意の保証人になる事が出来ません。

しかし私の様に、本気じゃないという理由で阻害された「やる気の総量」は、「やる気エリート」「やる気スペシャリスト」の方々の本気の総量を上回るのではないか?という気がするのです。この世界には本気の人より、中途半端な人や、やる気のない人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか?圧倒的多数が「本気じゃないならやめろ」と言われ続けたために、「やる気障害」を背負って生きている様に見えます。なんだか元気がなくて、しょんぼりしてるのがいつもの事になっています。その、元々微小な上に、更に萎縮したやる気を、残さず、まるっと、本来の熱量で、そのまま活用する道を探ってみたい。わたしは自分をその実験台にします。

ENDURANCEは試練が私たちの限界を試すときに現れる静かな強さであり、できると分かっていたことを超えて突き進むよう、私たちに促す。(Enduranceステートメント)

私は自分にやる気がなくても、大きな夢を持つことを密かに実行しています。人に話せば冷笑されてしまう様な大きな夢です。今日は早起きのみなさんにだけ特別に、この極秘任務についてお教えします。

私が自分に課している極秘任務、それは世界平和の実現です。わたしはこの様な大事な事に対しても、やる気が出せません。わたしは完全に狂っています。しかし、やる気がないからと言って、諦めはしません。やる気がないままでも世界平和を実現させます。そうでないと最早わたしたちは生活する事が出来ないという事実に気がついたからです。やる気がない人々、今こそ団結しましょう。やる気がなくても問題ありません。世界平和を実現させたいと、ほんのちょっとでも思っていたらそれで十分です。さあ始めましょう。

持久力とは単なる瞬間ではなく、世界が重く感じられるときに「進み続けろ」とささやく、絶え間ない精神のことである。(Enduranceステートメント)

私は勉強が人より出来ません。本を読むのも遅いし、読んでも頭に殆ど残りません。それでも本を集めて、時速10キロで高速道路を走る車の様に、全ての車に追い抜かれながら亀の歩く速度で読書をしています。何故なら本にはこの世界の大切な事が全て書かれているからです。世界平和を実現させる方法も当然書かれているのです。実際にアジア人初のノーベル賞受賞者のタゴールの本には、世界平和への道が沢山記されています。

「日本は自己防衛の近代武器の入手を考えてはならないとわたしは一言たりともいってはいない。しかし自己保存の本能を超えるものであってはなるまい。本物の力は武器を使う人にあること、武器それ自体にはないこと、そして人が力を欲するあまり、己れの魂を売って武器を増やすとき、敵以上に大きい危険はこれ自身である、ということを日本は知るべきである。」(ラビンドラナート・タゴール「ナショナリズム」より抜粋)

2023年度からの5年間で総額43兆円、27年度にはGDP(国内総生産)比で2%に膨れ上がる防衛費。(「日本の防衛費大幅増額が意味するもの」(鶴岡路人)より。https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00876/

先日、2023年度の京都市の保育園への補助金が今年13億円カットされたのを知って、どこにその13億円を補填する予算があるんだろう?と考えた時、世界平和を実現して、国の防衛費を生活世界の予算に回す以外、道はないんじゃないかと考えました。世界中の生活者の生活の為に、わたしたちは世界平和を実現させる必要に迫られています。生活のための世界平和です。

世界平和のために、わたしたちは本を読む必要があります。私のENDURANCEの火種が絶えずにサバイバルしてこれたのは、図書館のおかげでした。私は図書館で、学校教育で消えかけた学習意欲の炎に息を吹き込み、少しずつ延命する事をこれまで繰り返してきました。わたしは小学校一年生の時「勉強」と聞いただけで、やる気が0になってしまう魔法をかけられました。それからというもの学校の授業は無駄に真面目で、異常に退屈に感じられるようになりました。他のクラスメイトたちは、「何に対しても疑問を持たない魔法」をかけられました。だから、なぜ学校の勉強が無駄に面白く、異常にエキサイティングじゃないのかという疑問は誰の口からも発せられませんでした。わたしたちは毎日、社会とは決して理想的ではない場所なのだという事を学校から教育されました。そうやってわたしたちの無気力が完成しました。そんな訳でわたしにはやる気がありません。

たまに他のクラスが、どうやら楽しそうだったりする事がありました。先生が生き生きしている、生徒も元気がある、授業が面白そう、笑い声や歌声が学校中に響き渡っている。同じ学校内に、悪い魔法から逃れられたクラスも確かにあったのです。世界や過去の歴史に目を向けたら、もっと多様な授業がこれまでの人類の歴史では実践されてきている事実が見つかる筈です。だから、いま私はそのリサーチを行っています。図書館やネットの古書店で、小説でも漫画でもなく教育実践記録を漁っています。その中から授業の断片を集めて、教育実践記録をremixする事で、世界平和を実現する方法を模索しています。わたしのENDURANCEは、学校教育への恨みが精神の中に堆積して、炭化して、別質なエネルギーに変質したものです。学校を出てから随分経つので、今では恨みの感情は消滅しました。しかし、その堆積した不毛な時間はわたしの中でENDURANCEになったのです。著名な教育学者の佐藤学は、学校教育に挫折した経験を持つ者ほど、却っていつまでも教育に対する執着を持つと指摘して、その現象を「教育のパラドックス」と呼んでいます。学校教育の抑圧から生じた恨みは、燃料になって、粘り強く、変幻自在なENDURANCEの炎となって、いつまでもその人の中で灯り続けるのでしょう。

私の尊敬する久保覚(クボサトル)という編集者がいます。彼は在日コリアンであり、コスモポリタンでした。久保は高校生の頃、いつも死ぬ事を考えていたそうです。そんな時に、学校でレイチェル・カーソンの『われらをめぐる海』を偶然手に取り、それを読んだ事で、その暗い想いから抜けでる事が出来たそうです。久保は『われらをめぐる海』の書評の中に次の様に綴っています。

「その本ではじめて私は人間の血管の中の塩からい液体の流れには、ナトリウム、カリウムなどの元素が海水とほとんど同じ割合でふくまれていることなどを知ったのですが、いわばカースンが自然や生命への広びろとした眺望の扉をいっぱいに開いてくれたことによって、少年の私は生きる意欲をもつことができたのでしょう。こんど読み返してみて、この素晴しい生命の母の海の物語は、女性科学者だからこそ書けたのだと思いました。」

この時、彼がカーソンの本から受け取ったENDURANCEの炎は、彼が死ぬまで彼の胸の中で消える事はありませんでした。彼はその後、編集者となって沢山の本をこの世界に送り出しました。久保の遺稿となったのは、「21世紀への投瓶通信」と題した、ローザ・ルクセンブルク『ロシア革命』への書評です。

「ローザ・ルクセンブルクー(略)彼女の名前を歴史的なものにしたのは、第一次世界大戦にさいして、戦争を肯定してしまったドイツ社会民主党指導部に抗して、反戦の闘いを徹底的に展開したからです。 彼女はすばらしい革命の闘士であり、理論家であり、思想家でした。また、その魅力的な人間性は、多くの人をひきつけてやまなかったのです。だが、まさにその比類のない人間的力量の故にこそ、社会民主党政府下の軍人たちによって虐殺され、死体は運河に投げこまれ、その無惨な死体が発見されたのは、四ヵ月後のことでした。」(久保覚著「21世紀への投瓶通信」ローザ・ルクセンブルク『ロシア革命』書評)

本はまさに投瓶通信だと、私は思います。それは未だ知らぬ未来の誰かに向けて、海に投げ込まれた手紙です。図書館は都市の中の海です。私はこれからも図書館に通い続け、誰かが投げた投瓶通信を受け取りたいと思います。

「人生の旅路は山あり谷ありだが、上り坂で私たちを支えてくれるのが持久力である。挫折は敗北ではなく、成長と回復力への足がかりであることを教えてくれる。障害を克服するたびに、私たちの精神は強くなり、決意は揺るぎないものになる。
即座の満足を重んじる世の中にあって、持久力は、最も報われる勝利は忍耐と忍耐から生まれることを思い出させてくれる。持久力とは、たとえ倒れたとしても立ち上がり、粘り強さという変幻自在の力を使う能力なのだ。だから私たちの中に宿る粘り強さを称えよう。逆境に直面したとき、私たちを可能性の頂点へと導くのは持久力なのだから。」(Enduranceステートメント)

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