店をオープンするまで / (1)コーヒーの世界へ
2015年10月24日。ぼくは、東京・代官山にあるレコールバンタン・キャリアカレッジという飲食の社会人向け専門学校に赴き、コーヒーを学べる教育課程について話を聞いていました。
その半年前に、18年4か月ほど勤めた会社を退職していましたが、転職先をみつけないまま、つぎの職に展望もないまま辞めました。コーヒーはここからさかのぼること10年くらい前から好きで、毎日、主にスターバックスに通っていました。
とはいっても飲むだけで、自宅でときおりハンドドリップやフレンチプレスでコーヒーを淹れていたものの、いまから思えばセオリーもレシピも知らずにやっていました。コーヒーにミルクと砂糖をガンガン入れて、たっぷり作って飲んでいました。スターバックスでも「ホワイトモカ」という甘いコーヒードリンクを来る日も来る日も、1日に2、3杯飲んでいました。コーヒーとぼくはこういう距離感でした。
ぼくは物事を大げさに考える癖がありまして、30年後は、増え続ける世界人口と進み続ける地球温暖化があらゆる問題の根源として世界に横たわり、そこから飲料水不足、食糧不足、そして異常気象が、日々の生活においてすら注意をしなければ生きていけないほどの問題になっているだろうと考えていました。
そんななかで、飲食にまつわる業界に身をおくのは今後の人生を歩いていくうえでよいポジションかもしれない、と思うようになりました。目の前にはいつもコーヒーがありましたから、じゃあひとつコーヒーを学んでみようかと思い至ったわけです。
それに、会社員時代の後半は総合職として働いていましたので退職したときには専門技能がありませんでした。元来ぼくは、一人黙々と同じ作業を延々繰り返すのが楽しく感じるタチの人間でしたから、会社を辞めたこれからは専門技能を身につけて生計を立てたいという思いもありました。一方で人様の笑顔にふれていたいという思いもあり、店頭でコーヒーを提供する人というのはこういった自分の思いを満たすものだと考えるようになりました。そんな折にインターネットの広告でレコールバンタンを知り、話を聞きに行ったのでした。
好きなコーヒー屋さんがあって自分もそんな店をもちたいとか、憧れのバリスタがいて自分もそんなふうに店に立ちたいとか、いわんやサードウェーブのコーヒーカルチャーに感化されて・・・など、そういう具体的な、あるいは直接的なイメージはもっていなかったのです。そう。そうなんです。始まりはわりと漠然としていました。明確だったことは、そろそろ働かなければならないという思いだけでした。
いま、お客様から「どうしてコーヒー屋さんやろうと思ったの?」と聞かれると「詰まるところコーヒー好きだったからですよ」なんてお答えしているのですが、ちゃんとお答えするとここに記した内容になります。でも、こんなにだらだらお話しするわけにはいきませんし、思いを言語化してしゃべるのが不得手でもありますので、店にてご説明不足なところを補う意味でも書いておきたいと思っております。
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レコールバンタンでは「当専門学校は学校法人ではなく企業法人で、このため課程のゴールが資格取得ではないのです」と説明を受けました。
学校法人だと文部科学省が指導課程に影響力をもち、課程のゴールが資格取得になるんだそうですが、レコールバンタンは課程のゴールを技術習得に置いていて講師も現役のカフェオーナーなど第一線で活躍している人なので課程の内容が実践的であるという説明でした。この説明はもちろんぼくのこころをぐっとつかみました。話を聞きに行ってさすがにその場で即決はしませんでしたが、一晩寝かせて、奥さんにも相談して、すぐ入学を決めました。
レコールバンタンで「JBAバリスタライセンスコース」と、「コーヒーロースト&ドリップコース」の2課程を受講することにして、すぐに課程がスタート。期間は半年でした。
「バリスタ」のほうはエスプレッソマシンを使った実習が軸で、課程は『半年でバリスタとしての基礎を構築する。エスプレッソマシンの構造や取扱い、産地別コーヒー豆のテイスティングも行い、味覚基準を理解し基本となる抽出技術をマスター。日本バリスタ協会(JBA)ライセンスレベル1の修得を目指します。』と説明があります。
「ロースト&ドリップ」のほうはコーヒーの焙煎機を使った実習が軸で、課程は『コーヒー豆の生産地、生産者、栽培方法、ローストによる異なるフレーヴァーを理解、抽出(ドリップ)方法の基本からトレンドに対応するバリエーションまで幅広くマスター。コーヒースタンドのオペレーション・サービスノウハウも身につけます。』と説明があります。
当時、レコールバンタンではコーヒーに関する課程はこの2つで、両方とも受講することにしました。当時書きつけていたメモにも(どうして2課程とも受講することに決めたのか)の理由は見当たりませんでしたが、具体的にこれを学びたいというイメージがなかったため、用意されているものはすべて学んでみよう・・・ということだったような記憶はおぼろげにあります。
当時、講座初回の日に感想をSNSに綴っていました。
(バリスタコース / 2015/11/05)
コーヒーの勉強を始めました。自分で初めて淹れたエスプレッソは抽出28秒で、焦げ臭さのあるダメな感じ。ここからスタート。
(バリスタコース / 2015/11/12)
今週のコーヒー授業はミルクフォーム。自分で淹れたエスプレッソに、自分で泡立てたミルクを注いだところ。いわゆるカプチーノ。味はまあまあ。ここからスタート。
(ロースト&ドリップコース / 2015/11/07)
きょうは焙煎の勉強。焙煎は、火力(温度)と煎り時間の掛け合わせを調整することでその豆の魅力を引き出していくもの。焙煎機に生豆を投入すれば誰でも同じように煎ることができる、わけではない。料理の素材がよくても焦がしてしまうとマズいのと同じ理屈。そうした観点から『焙煎は料理と同じです 。』という。
そして半年後、講座最終日の感想もSNSに綴っていました。カプチーノの仕上がりがまるで見違えていますね。
(2016/03/18)
半年にわたったバリスタ講座は昨日で最終日。
ここで学んでいたのはイタリアンバール(bar)を下敷きにしたバリスタ(barista)の技術や、バリスタとは何する人ぞといった物の考え方、またイタリアンバールの文化、成り立ちなど。講義では実技習得に8割以上の時間が費やされた実践重視の内容だったが、「何のためにやっているのか」といった考え方の面も要点を押さえて教えてもらったので、心技ともにきっちりと腑に落とすことができた。
「私は正解を学びに来たんです」という人もいると聞いたけど、自分が得たかったものは基礎と構造。エスプレッソ、カプチーノという一つのカップをつくる流れとしての基礎と、そうしたものがどういった構造・要素で成立しているのかを知って、それを分解できるようになりたかった。基礎を押さえたうえで構造・要素を分解できると応用を利かせられたり新しい発想も出しやすい。
感銘を受けたエピソードはいくつもあるけど、そのなかでもエスプレッソの分解と、豆を挽いて粉にしたときの粉の形状についての話がとくに印象深い。
エスプレッソの分解については、25秒前後で抽出を終えるエスプレッソを、抽出中の8-9秒ごとにカップを取り替えて3つに分解して講義をしてくれたことがあった。最初のカップは大変酸っぱく、2番目のカップは苦味が濃く、最後のカップは味が薄かった。コーヒーは酸味が先に抽出されて、酸味のあとに苦味が抽出されてくるというのはそれまで知識として知っていたが、分解されたエスプレッソを実際に飲んでみて知識を実体として理解することができたことが印象深い。
粉の形状については、グラインダー(業務用ミル)のなかに豆を挽くための刃が内蔵されているわけだが、この刃の形状が円錐型か平行型かで粉砕された粉の形状が違ってきて、その形状の違いで粉にお湯を注いだときの浸透率に違いが出てくるので、コーヒー成分の抽出効率にも違いが出てくるといった話が印象深かった。どんなグラインダーを使うのかを選択するポイントは刃の形状以外にもあるのだが、グラインダーというものがどういった要素で構成されているのかを知ることで、重要なポイントを知り、どの要素を優先して選ぶのかという自分なりの価値基準を構築することができた。
コーヒーを飲むほうの文化はイタリアも深いし、シアトル系といわれるアメリカや、これらとはまた別の顔をもつオーストラリアもとても盛ん。もちろん日本独自の文化もあるので、「これが正解」といった一つの様式に捉われることなく自分なりのスタイルをつくっていければいいと思う。
(2016/03/26)
10月から半年にわたって学んできたコーヒー豆焙煎&抽出の講座を修了した。
先に修了したバリスタ講座と同様にこちらも実践学習が8割以上。10月〜12月の前半はカッピング(テイスティングに近いもの)を中心にコーヒーの味を取るトレーニングを繰り返し行った。今年に入って1月〜3月の後半は抽出のトレーニングが始まって、学びのサイクルとしては毎週焙煎をして、カッピングをして、抽出をするというのが定番になった。
感銘を受けたことは多々あるけど、印象深いことは、コーヒーの味を評価するための努力、取り組みがものすごく多くの人たちによって情熱をもって精緻に行われているということ。感覚で捉えるコーヒーの味や香りというものを可能な限り数値化して、言語化して、共通言語をつくり、他人と共有しようという取り組みが世界的に行われている。こうした取り組みはコーヒーの品質を適切に評価して、ひいてはコーヒー豆を生産する農家に適切な評価が行われ、適切な対価が支払われ、それがまたコーヒー豆の品質を向上させることになり、マーケットが健全に発展する。
学んできた講座は「コーヒーロースト&ドリップ」という名称なのだが、講座の前半でカッピングトレーニングに重心がおかれていた理由が当初は分からなかった。けれど、カッピングを行い、感じた味を数値化・言語化して他人と共有することができなければ、焙煎を行っても、抽出を行っても、「いいね」「おいしいね」でしか語り合うことができなかったはずで、そんなことでは実践で技術を学んでも成長を望めるべくもない。カッピングの意義が分かってからは実習で行うことの理解度が大変深まった。
焙煎については「初心者です」といえるくらいには成長できたようで、コーヒーとしてソコソコおいしく飲める豆を焙煎できるようにはなったし、狙いをもって焙煎プランを考えることができるようにもなった。一応、先生から「商品として豆を焙煎できる直前まではきています」という評をいただくことができた。
焙煎もいろいろと検証を行うことができたので身になった。焙煎機の窯の温度上昇率を一定にすること、豆が生焼けにならないようガス圧調整を行うこと、焙煎が進行する1分おきに豆を取り出して状態の変化を知ること、焙煎機の排気ダンパーという機構を使うことによって味がどう変わるのか、焙煎による味づくりフェーズの煎り時間を変えることで味がどう変わるのか、、、など、さまざま取り組むことができたのは貴重な経験値だと思う。生豆は、エチオピア(アフリカ)、東ティモール(東南アジア)、コスタリカ(中米)、エルサルバドル(中米)、ブラジル(南米)など代表的な生産地のものに触れさせてもらった。
コーヒー豆は多様性に富み、自然、飲料としてのコーヒーにもさまざまな味わいが出てくる。一方でコーヒーを飲む人の嗜好も多様。自分自身ですらおいしいと思うコーヒーの味わいは一つではないので、やはりコーヒーの「正解」も一つではなく多様になる。その多様な「おいしいコーヒーを飲みたい」という願いにできるだけ応えるための基礎技術を修めることができたように思う。はー、楽しい学びの時間が終わってしまった!
このようにして半年間をコーヒー実技の学びに使いました。
専門学校に通ったのは専門技能の修得が大きな目的でしたが、土台になる部分もきちっと組み立てられる課程でした。コーヒーに関する評価軸、良し悪しを測るモノサシはレコールバンタンでの学びが基礎になりました。
また、コーヒー業界において少々でも人脈を作る必要を感じていました。そちらの方面でもありがたい出会いがありましたから、この期間にこの場所で学べたことは僥倖だったと感じています。
こうして、ぼくはコーヒーの世界へ入りました。
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