夢を絶たれ、長男を失う。プラスとマイナスを行き来してきたココロとカラダのセラピストが教える、陰と陽を調和させる生き方。
「こんなに頑張っているのになぜ自分だけがうまくいかないんだ」
と思ったことはありませんか。
部活の試合やコンクール。学校のテスト。仕事の成績。きっと何かを頑張っていた人であれば一度は思ったことがあるのではないでしょうか。
今回紹介するのはNPO法人「ココロにハルを」代表理事の酒谷晃生さん。
酒谷さんは
「常にマイナスとプラスと隣り合わせに生きてきた」
と振り返ります。
今日は、酒谷さんの「陰と陽を行き来する人生」を通して、人生を頑張る皆さんを励ますメッセージを贈ります。
陰エピソード① サッカー選手になるのは「私たちの夢だった」。小学生で絶たれた、生きる意味。
今から36年前。酒谷さんは元サッカー選手の父とあたたかい母の間に生まれました。お父さんは自分にも人にも厳しく、母はありのままの存在を承認してくれるあたたかい人でした。
身長がクラスで一番高く、ませていた小学生の酒谷さんが描いていた夢。それは父親を超えるサッカー選手になること。
そのときを酒谷さんは
「お父さんのように自分もサッカー選手になりたくて特に嫌な思いもすることなく頑張っていました」
と振り返ります。
そんな酒谷さんに最初の「陰」が訪れます。
小4の体育の授業のときでした。走高跳で着地を失敗してしまってじん帯が切れる大けがをしてしまったんです。お医者さんからは「成長期でじん帯がきれることは珍しく、この時期で切れちゃうと成長軟骨に傷がつくかもしれないから手術ができません」って言われたんです。成長期が終わるまではじん帯を切った状態で生活しないといけなくて。
ーーもうそれからスポーツは全くできなくなったんですか?
できないことはなかったんですけど、膝のねんざがしょっちゅう起きて。起きたら病院に直行してました。小学校4年生の時は身体のけがより心のけがのほうが大きかったですね。サッカー選手になりたいという夢が全部見えなくなったときに自分は心を病んでしまいました。
ーー小学校でいじめ以外で心を病んでしまうってよく考えたらすごいことですね。
はい。けがをする前は「なんでクラスでいじめが起きるんだろう」ということが分かりませんでした。だけどいざ自分がココロをむしばまれるとねたみ、や劣等感がすごく湧き上がってきました。
ーー辛い時はほかの人には相談できなかったんですか?
学校の友達に相談するっていう次元ではないというか、小学生の同級生には相談できなかったっていう感じですね。ただお母さんだけはそういった自分の状態を見て、愛のかたまりのような人だったので、母には苦しさを吐き出していました。
でもお父さんには相談できませんでした。父は選手2年目のときに膝をけがして引退しているので自分の達成できなかったところまでサッカー選手として育てたい期待があったと思うんです。
ただ、けがをしてしまったことで僕の夢だけじゃなくて父の夢も自分が壊してしまった。だから父を失望させてしまった、期待に沿うことができなかった、という申し訳なさがありました。だから数年前まですごいぎくしゃくしてましたね。
小学生ながらに心を病んでしまった酒谷さん。そんな酒谷さんは中学生の頃から仮面をかぶることを覚え、常に二面性を備えた人間になりました。
陽エピソード① 腰パンをして社会に反抗しながらも、自分の意思で進む道を決めた高校生まで。
ーー中学・高校時代を振り返ってみてください。
中学のときは仮面をかぶって生徒会入ってマジメキャラやってましたね。何かに打ち込むものもないのでまじめに勉強していました。
高校時代は2つの自分が常にケンカをしていました。
自分の自分の心の中のいい子ちゃんの自分と心の奥にあるすごい劣等感、自己否定とが常にあった感じです。
心の奥にある劣等感の部分では、夏休み冬休みは髪染めたり、夏期講習は申し込みはするけど公園でサボったり、学校で一番腰パンしたり、といった形で発散をしていました。
いい子ちゃんの部分では、剣道部に所属し、10㎏の防具をして、格技室が40℃近くになるなかで全道を目指してやっていました。死ぬほどきつい練習だったんですけど、それだけ身体を動かせたことが逆にストレス発散になったのではないかと思います。
ーー高校を卒業されてからはご自身で進路を選択されたんですか?
はい。4年制の作業療法士の専門学校に進みました。
自分のいい子ちゃんの部分は母親とおばあちゃんからもらった思いやりや優しさ、愛情をもらったんです。
2人はありのままで素晴らしいっていうのを伝えてくれる人なんです。
だからそれを活かすにはどうしたらいいかなというのを考えていて、母親の友達にリハビリの仕事を勧められました。
そのときに作業療法士と理学療法士の違いを調べてみたんです。作業療法士はその人の心のケア、理学療法士は体のケアというのが分かりました。僕は膝4回手術しているので、理学療法士が合っていると思いました。でも大事にしたいのは心で、心を学んでいきたいと腰パンしながらも真面目に考えて、作業療法士の学校に進みました。
小学生で生きる希望を失い、反抗心を抱きながらも自分で進む道を選択され、前に進む酒谷さん。しかし、そんな希望を持った人生は長くは続きませんでした。
陰エピソード② 頑張っても報われない作業療法士に絶望した。
1度だけこの道選びたくないと思ったことがあって。それが専門学校3年生の2週間の病院実習のときでした。今は感謝しかないんですけど、当時はいらだちというか苦しかったです。
ーーどんなエピソードか教えていただいてもいいですか?
当時は先輩から大変だよ、という話は聞いてたんですけど「まあ大丈夫だろう」とかなり安易な気持ちで実習に臨んだんです。
ちょっと想像してみてください。
いきなり現場に行って目の前に体がけいれんして、異常起こしている人がいて、この人の運動能力を評価してとか、筋力どうやって見るの、とか言われるんです。どれも学校じゃ習ってないことばかりで意味が分かりませんでした。1週間ほど続けたタイミングで「無理です。」って学校の先生に伝えました。そしたら「あんた実習なめてたしょ」って突き返されました。
2週目に「本当にすいませんでした。一生懸命頑張りますので、もう一度力を貸してください」って謝罪してお願いして2週目の実習に臨みました。17時に終わったらまず先生がカルテを書くので21時ぐらいまで残らされて。そのあとフィードバックはものの5分~10分で終わって。帰ったら課題のレポートをまとめるんですけど朝6時ぐらいまでかかるんです。そして眠いまままた朝9時に行って17時まで実習して。そして眠い中また21時ぐらいまで待って。そうして死ぬ気でやった実習を終えました。
でも、実習が終わって先生から返ってきたコメントは
「今回の実習生は勉強ができないなりにも頑張っている様子も見られず、それを改善しようとする努力も全く感じられませんでした」
でした。
僕その2週間はもうほぼ無睡で、死ぬ気でやったのに、謝ったのに対応も何も変わることはなく。生徒にあんな対応をする人間が作業療法士をやって先生と言われていることに絶望しました。
自分が目指している作業療法士の先生の対応に絶望する酒谷さん。そんな酒谷さんに転機が訪れます。
陽エピソード② 本音と建前にずれがない先生に出会い、理想の作業療法士像が出来上がる。
担任の先生が洞爺湖の病院にいっといで、と言われて。そこの病院に行ったら本当に作業療法士の楽しさ、素晴らしさに気づくことができるから。と送り出されました。正直疑心暗鬼のまま実習に向かったんですけど、ある先生との出会いによって「本当に作業療法士すごい!」と変わりました!
ーーすごい!酒谷さんを180度変えてくれた先生ってどんな先生なんですか?
おじちゃん先生で。すごいセクハラ親父なんですよ(笑)患者さんのお腹に触れて、「太ってんな!」って平気で言ったりするんですよ。
でもその人が作業療法室に入ってくるとみんなが笑顔になるんです。その人1人がいるだけで。それを見たときにこんなすごい人世の中にいるんだなって知ったときに「自分もこういう作業療法士になりたい!」って4年生の時に思いました。
ーー会っていないのになぜか僕まで笑顔になりました!
ありがとうございます。ほんとにその先生はありのままの自分で生きてる先生だったんです。僕は愛想を振りまいて生きていて、暗い感情に蓋をして生きていました。でもその自分の本音と建て前にまったくずれがない先生に初めて出会って。その人らしさで生きている、その美しさに感動しました。
理想とする作業療法士の先生に出会い、希望を持って作業療法士になられた酒谷さん。就職後はどのような生活をされたのでしょうか。
陰・陽エピソード③ もがきながらも理想に近づく日々。
ーー作業療法士になってからは楽しかったんですか?それとも苦しかったんですか?
なまら(とても)苦しかったです。全国からその病院で手術をしたい、と言われるほど超優秀な病院に勤務になって。
ひどい時のスケジュールをお話しすると
7:40~8:40 お医者さんのカンファレンス
8:45~12:00 患者のリハビリ
12:00~12:30 作業療法室のベッドで寝る。
12:45~13:00 昼の会議。
13:00~19:00 患者のリハビリ
19:30~22:00 ごはんを食べながらカルテをまとめる
22:00~1:00 学会発表の資料作り
1:00~5:00 論文作成
5:00~7:30 病院の当直室でシャワーを借りて、そのまま病院のベッドで寝る
でした。
ーー人間の生活じゃないですね・・・
先輩からは「患者さんにお前と同じ時間を提供してるのに給料が一緒なんてありえねえ」って言われました。僕が入ろうが先輩が入ろうが、病院に入ってくるお金は同じなので。先輩に馬鹿にされる劣等感、と患者さんをしっかり見れないと劣等感がありました。それで必死に毎日学んでいました。楽しかったですけどね!
ーー学校いたときに掲げていた理想と現実の乖離はありましたか?
あったけど階段が見えていました。学生時代は見えなかったんですけど今ある苦しさは積み重なっていけば理想につながると。
「こういう作業療法士になりたい」という道筋が見えてたので乗り切れました。頑張っていけば患者さんから「先生が担当でよかった。本当にありがとう」と言われることがたまにあって。そのありがとうが頑張れる原動力になってました。
ーー異常すぎるほどストイックですね。
はい。異常すぎると思います。でもそれだけ心の病みが深かったんだと思います。
自己否定が強ければ強いほど自己改善への欲求が強い。劣等感、自己否定が自分を追い込んで努力する原動力になっていたのだと思います。
そして酒谷さんの努力はメンタルヘルスカウンセラーと行動心理士という資格を通信でとり、患者の悩みや人生における課題に寄り添うココロとカラダのセラピストとして独立を果たすのです。
しかし、4たび酒谷さんに陰の試練が訪れました。
陰・陽エピソード④ 短すぎる15分の生命と同時に生まれた優しいあったかい場。
2年半前のことです。長男が病気になって亡くなっちゃったんですよね。それが100万人に1人の病気で。心臓動いてた時間は15分だったんです。結婚して5年ぐらいでようやく授かった命だったので本当にうれしくて。
なのに、なのにです。7か月ぐらいのときにお腹の中の子が大変な状態になって。病院で手術することになったんです。
お医者さんからは「奇跡が起こらないと生まれてきても危険な命です」と言われたんです。
そのあと1か月間僕はその奇跡ってやつを信じて色んな事を試しました。
神社に通ったり、神に祈ったり。このクリーム塗ったらお腹の中の子に酸素が行くからってクリームを塗ったり。結局帝王切開で産まれた命はものの15分経って亡くなりました。
ーー辛いというか悔しさを僕は感じます。お子様を亡くされたときにいら立ちや批判したくなる気持ちはなかったんですか?
あのときああしとけば、とか過去に後悔をする選択肢はないですね。
改めて命って何なんだろうって深く考えました。15分の命は何のためにあったのか。深く深く考えた結果、ここにあるすべての人の命は当たり前でここにあるのではないんだと気付かされました。
どうしたらそういった命を大事にできる世の中になるんだろうと考えたときに、人の命と人の心をテーマにした法人「ココハル」を設立しようと思いました。
ーー「ココハル」はどんな空間なんですか?
優しさとあたたかさにあふれた空間ですね。優しさは特に「自己愛」を大切にしています。
自分に×をつけて周りに優しさを向けようとすると、それに対して相手が応えてくれなかったら「なんで自分がここまでしているのに、そういう対応なの」と他者批判になってしまいます。
そういう建前の優しさとは違って、ありのままの自分を認め合うことがココハルの本音の部分の優しさです。本当にあたたかい空間です。ぜひ遊びに来てくださいね。
陰を陽ととらえるのではなく、陰と陽の調和が必要。
陰と陽を振り子のように行き来してきた酒谷さん。そんな酒谷さんだからこそ「陰」の経験が必要だと語ってくれました。
これからも調和のとれた人間でありたいですね。マイナスプラスがバチバチするのではなく、陰と陽が調和するような。
ーーポジティブシンキングな方がいいと言われる人が多い中で、マイナスな状態をも受け入れようとする感じが他の方と違いますね。
ポジティブシンキングは陰を否定することにもつながりかねないです。
マイナスをプラスに転じさせればさせるほど転じさせた分だけマイナスな面が生まれるんです。物事にはプラスな側面とマイナスな面があるからこそ、あたたかい場が生まれていくと信じています。
今回インタビューをしていて、僕は酒谷さんの魅力を一言で表せないことにモヤモヤした気持ちを抱きました。これはまだまだ酒谷さんは未完成のままであり、酒谷さんのエピソードはこれまで超えてきた、そしてこれから超えていく、そんな山々の1つに過ぎないのだと思いました。
人生、うまくいくことだけではありません。失敗をしてしまったとき、哀しい出来事が起こってしまったとき。プラスに考えられないことだってあるでしょう。でも、プラスとマイナスを経験して完成してしまっては人生面白くありません。
未完成ということは、それだけ成長できるということです。
未完成な状態を通して、マイナスな経験を通して僕と酒谷さんと一緒に成長していきましょう。
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◆酒谷さんが代表を務めるNPO「ココロにハルを。」のホームページ
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