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視覚言語を操るには

突然ですが、私は耳が聞こえないのです。
チラチラとあちこちで情報を散りばめていましたが、この件については自分の表現あるいは仕事、人生観の全てにまつわる根本的なものなので、ある意味これを話すことは、多くの仕事や作品にまつわるものにつながっていくことになると思ってます。

ただ耳が聞こえないだけじゃなく高度感音難聴を持っており、音が歪むとも言われています。もっとも正しい音を知らないので歪んだ音が正しいと思っって生きていくしかないです。100デジベルの難聴です。

補聴器によって耳が聞こえる世界と聞こえない世界を行ったり来たりしている

という意味では相反している世界をワープしているようなものであり、それは機械によってもたらされる、世界でもあると思います。

そうしてみていくと「耳が聞こえる」「耳が聞こえない」というのは、白か黒かではなく連続的なものだと感じています。私は100デシベルの難聴で、音が歪んで聞こえることもある。けれど、私にとっては“正しい音”という基準がないので、それが普通なんですよね。

多くの人は「耳が聞こえない=無音状態」と想像しがちですが、実際には人によって状況や感じ方はさまざまです。そこに気づくだけで「自分とは違う状態」を想像しやすくなり、さらに自分自身の「当たり前」を疑うきっかけになると思います。

聞こえない世界と聞こえる世界の境目を伝えるために色々とテーマを立ち上げてまとめたものがBrush Expressです。


耳が聞こえないからといって聴覚障害者のみの世界で生きているわけではなく、幼稚園に値する時期のみ聾学校に通っていましたが、小学校からずっと特別聴覚支援学校(聾学校)に通う事もしていないです。そこで叩き込まれた読唇術と補聴器、当時地デジもなかった時代に字幕チューナーで見るドラえもんのアニメのおかげで語彙力がついたようなものです。
今ならいろんなアニメそしてNetflix、youtubeとたくさんの動画が字幕に対応していてとても羨ましいです。

つまり読唇術と補聴器の音、その人の話す内容の先を読むことで言葉を認知しています。そうして思ってきたのが言葉は媒体であるということでした



そんな経緯でYouTubeよりnoteの方が安定して読み込めるというメリットを感じています。今回はお前誰やねんという人もいると思うので改めて自己紹介。


MASAはどんな人間なのか?

実在しています。本当に実在しています!!
「存在しなひとですか?」と聞かれることはしばしば。。。
AIだと思われる事もよくある。

人間味をここから出していきますね。

一応1992年生まれの兵庫県出身で東京のJTCとも言われるような大企業で働いているインダストリアルデザイナーの一人です。

小中高は普通の田舎の普通の学校で過ごし、高校から美術予備校に通い浪人をして多摩美術大学へ進学しました。

プロダクトデザインを学び就職して今に至る平凡な人生とも言えます。
何を基準にして平凡かというとその定義は揺らぐんですが、ある程度普通の人と同じように暮らし同じような生活ができるレベルに持ってこれたと思っています。

写真をやるような活動はコロナ突入とほぼ同時でした。
コロナの勃発と同時に始めたアカウントは1年ちょっとで1万を超し、今に至っています。

人生の流れ的には視覚言語やデザイン言語を取り扱ってきたとも思っています。


できるようになることががもたらすもの

デザイナーをやっていて一番メリットなのはユニバーサルデザインの配慮ができることが一番大きいかなと思っています。

耳が聞こえないことに対する配慮は回り回って耳が聞こえる普通の人にも大きなメリットがあるんですよね。
例えば文字起こしや字幕それに伴う議事録がその最たるものだと思うんです。
文字起こしは情報の欠落を補填するのですが、記録にもなるし、聞き逃しも思い出すことができる。

文字が持つパワーはでかいんですよね。
そしてその文字よりもはるかに大きな静止して残せるものが写真と絵です。


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