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自分を隠している鎧を脱いで、理論ではなく感情を大切にしてみると起こること


自分の中で無意識下で感じないように抑圧してきたマイナスの感情を表に出す。

そして存分に感じてやる。そうすると結構楽になる。

理屈をこねくり回して自分の気持ちを無かったことのように扱っていたと気づく。

ネガティブやマイナスも含めて素直に受け入れてみると、「矛盾を抱えた自分」を「自分らしさ」と認められたり、自然体で自分に嘘をつかないように努めてみれば、物事の見方も変わって余計な力も入れなくて済むようになった。

競争や比較を煽ってくる幻想論なんて自分には要らないとも思えたり、社会規範に盲目的に追従するだけの思考停止もしたくないと考えたりもする。

こうすれば正解ですよと、意識的にも無意識的にも示してくる規範は優先度が低いことに気づき、最も優先しなくちゃいけないのは、自分の気持ちだと腹落ちする。

すべき論、エビデンス、こうあるべき、当然、普通、常識という目に見えない規範が、本当はとても曖昧で、善悪、正誤、優劣、上下の基準も、時代や地域で変わり、絶対的な正解なんてないと気付かされる。

何でもかんでも頭の理性で考えすぎてると、感情が追いつかなくて苦しくなるんだと改めて気づく。
人は論理的で合理的なロボットのように振る舞うと、人としてちゃんと生きられない。

「自分を隠す鎧」は、心や本音を守るために無意識に身につけたもので、自分の弱さや失敗を見せまいとして、常に完璧であろうとしたり、本当は傷ついているのに、「別に気にしていない」と振る舞ったりするもので

「いい人」や「しっかり者」であることで批判や拒絶を避けたり、本当の自分の価値ではなく、成果や役職、学歴で自信を保とうとする。

鎧を着ることは生きていく上で必要な場面も多いけれど、それが習慣化しすぎると自分の本音や本当の気持ちが分からなくなったり、心が疲れてしまうということ。

鎧は自分が傷つかないように、あるいは社会で適応するために作り上げた外面なんだけど、本来の自分を過剰に偽ってまで、自分を等身大よりも大きく見せて、自分を守る必要なんて無いとも気づく。

物質的に物を減らして、精神的にも余計な蓋を外してみれば、自分の根本的な部分が変革していくと感じます。


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