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『ばぁちゃんと冷やむぎ」

 母方の田舎は福島の須賀川だった。幼少の頃は、夏休みになるとよく母と帰省した。あの頃はまだ新幹線も通っておらず、電車の天井には扇風機が回っていた。帰省ラッシュの満員電車で、汗だくで揺られながら、母の手を握りしめていた。時折窓の外に見える田園風景がとても鮮やかだった。

 田舎の家は、長屋の一角にあった。2階建てで、1階には台所と居間、2階は4畳半の部屋が二つあった。ばぁちゃんの人柄もあって、ご近所さまとは家族づきあい、家はまるで寄り合い所のようだった。

 贅沢なものは何もなかったが、いつも新鮮な野菜や魚をお腹いっぱい食べていた。あの頃の夏もとても暑かった。いつも上半身裸で遊び回っていたので、顔も身体も真っ黒に日焼けしていた。

 ある時、30円を握りしめて駄菓子屋でアイスを買った。その場で封を開けて、食べながら歩いていた。小石を蹴ったら靴が脱げたので、慌てて走り出したら、転んでアイスを地面に叩きつけてしまった。半べそでアイスを拾いあげたら、棒に「当たり」が見えたので、そのまま駄菓子屋に走った。小学1年生の夏だった。

 あの頃は、こんな日常の連続だ。過去の記憶にわずらわされることもなく、今を生きていた。かつて禅宗の開祖の達磨大師は、今を生きれば不安はなくなると言った。座禅などして悟らなくても、子供の頃は十分に今を生きていた。子供は己を否定しないという意味で、大人よりも優れていると思う。

 話しを元にもどそう。その夏、母は先に東京に帰った。私はばぁちゃんが大好きで近所に友達もいたので、寂しくはなかった。そのまま1人残り、夏休みが終わるまで田舎で過ごした。

 ある日、お昼になったので一旦家に戻ったら、ばぁちゃんがいなかった。どうやら買い物に出かけたらしい。「チキンラーメンにポットのお湯をかけて食べなさい」と書置きがあった。書いてある通りに、袋から麺を取り出して器にあけて、こぼさないようにポットのお湯を注いだ。

 頃合いをみて、ラーメンをすすったら、スープが熱すぎて食べられない。少し冷めまそうとラーメンに扇風機に当てながら、漫画を読んでいた。すると、友達が呼びにきたので、そのまま遊びに出かけた。冷ましているチキンラーメンのことはすっかり忘れてしまっていた。

次の日、昼に戻ると、またばぁちゃんはおらずに書置きがあった。

「冷やむぎを冷蔵庫から出して、麺つゆにつけて食べなさい」

 今日も外は暑く、びっしょりと汗をかいていた。喉もからからだった。まずは、麦茶を冷蔵庫から出して、コップにどぼどぼ注ぎ、それを飲み干した。その後は、言われたと通りに、冷やむぎと麺つゆを冷蔵庫から出した。つめたい氷に浸された冷やむぎは、キンキンに冷えていた。
 
 まずは、箸ですくって、高くまで引き上げた麺を、お椀からはみ出ないように麺つゆに落とした。そのまま顔を近づけてズズっと吸い込んだ。冷やむぎは、モチモチで、つるんとして、とても美味しかった。ずるずる、つるつる、ずるずる、つるつると夢中でひやむぎを胃袋に流し込んだ。
 
 食べ終わってみたら、テーブルがつけ汁でびしゃびしゃになっていたので、近くにあった新聞紙でテーブルを拭いた。
 
 ばぁちゃんは、昨日扇風機にかざしたまま、ほとんど食べ残したチキンラーメンを見て、思ったのだろう。この子は、まだ暑いものが食べられないと。だから今日は、冷やむぎを茹でて、冷やしておいてくれたのだ。子供心に、ばぁちゃんの優しさが伝わってきた。ばぁちゃんの書置きの余白にメモを残した。
 
ありがとう
 
 あれから数十年後、私が大学生の時に、ばぁちゃんが死んだ。葬儀に駆けつけたら、ばぁちゃんの顔が心なしか赤らんだような気がした。
 
 親戚のおばちゃんが、ばぁちゃんが最後まで私のことを気にかけていたと伝えてくれた。最後に、「あの子がまだ小さかった頃、私に手紙を書いてくれたんだよ。」と言っていたと。
 
その手紙はもうないが、おそらくあの時のメモのことだろう。
 
暑い夏が来るたびに思い出す「ばぁちゃんと冷やむぎ」。
 
心の琴線に触れた、ばぁちゃんと私の二人だけの思い出だ。
 
 
 


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