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【読書録47】致知 2022年7月号 「これでいいのか」感想

 これを書いているのが、2022年7月9日(土)。昨日、2022年7月8日(金)、安倍晋三元首相が、凶弾に倒れ死亡した。

 安倍元首相を支持していたわけではないが、令和の日本でこのような事件が起こったことに驚愕し、昨日来、何も手が付かないでいる。

 本号の特集「これでいいのか」という言葉が、まさに去来する。

 先月は、忙しかった。読書もほとんどできていない。noteに感想を書くこともあり、改めて本号を手に取る。

 今、手に取って良かった。心に響く言葉が多数見つかった。


総リード「これでいいのか」

 唐宋八大家の一人、蘇老泉の「管仲論」にあるという言葉から始める。

「功の成るは成るの日に成るに非ず/けだし必ず由って起こる所あり」
(事が成功するのはその日に突然成功するのではない、必ずそれに先だってその成功をもたらす原因があるのだ。)
「禍の作るは作るの日に作らず/また必ず由って兆す所あり」
(禍が起こるもまた、その日になって急に起こるのではなく、必ず禍が起こるのだ)

 非常に重たい言葉である。
著者も言うように「人間の世界で起こることの実相を衝いた深く鋭い言葉」である。

 表面的な事象や現象に惑わされず、自分のなすべきことを行い、あるべき姿を目指していきたい。

また吉田松陰の言葉が紹介される。

「天下の大患はその大患たる所以を知らざるにあり」

 バブル崩壊から始まる日本の低迷をまさに言い当てる一言である。
最近読んだ、野口悠紀雄氏の『平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析』にある言葉を思い出す。

平成の30年を一言で言えば、世界経済の大きな変化に日本経済が取り残された時代であったからです。そこで重要なのは、「努力したけれども取り残された」のではなく、「大きな変化が生じていることに気がつかなかったために取り残された」ということです。
改革が必要だということが意識されず、条件の変化に対応しなかったのです。

「これでいいのか」という言葉が出てくること。必ずしも悪いことではない。
それが「このままではいけない」となり、行動に繋げる。そんな気持ちにさせられる。

対談 日本甦らせる道


 田口佳史氏と芳村思風氏の対談記事。副題にある「後から来る者のために伝えたい人生論」という言葉がしっくりとくる対談である。

2人は、互いにこう言う。

起こることすべて必然。皆、理由があって起こっている。
まず、自分がこの世に生まれてきたということが必然であり、そこを基軸にすれば自分には天命があるんだという大局観を持って生きる。

そして、芳村氏は、こういう。

勝つことよりももっと素晴らしいこと。それはひと言でいえば、理屈を超えた愛だと私は考えます。
 では、愛とは何か。それは不完全な者同士が許し合い、教え合い、学び合い、共に力を合わせて矛盾に満ちたこの世界を生きる心。考え方が違う人とやっていける、価値観が違っても一緒に仕事ができる、違いがあっても助け合い、教え合い、学び合ってやっていける。これが勝つことより素晴らしい、美しい生き方なんだということを、これからの人類は発見しなければなりません。

それに応じて田口氏は、石田梅岩が説いたという人生を歩んでいく上でとても大切なこととして、「正直」「倹約」の二つを説いたという。


梅岩がいう、正直は、嘘をつくなというのとは微妙に違い、「自分の心に問うて正直でなければならない」ということ。自分をだますことはできない。倹約もケチということではなく、世界で必要なものを独り占めしないということだ。分かち合うことこそが倹約だと説いている。
正直と倹約こそは、一番の生きるコツである。

 続いて、芳村氏は、「人間の境涯」について話をしているが、そのパートが一番心に響いた。

人間は、理念・理想を抱き、そこに向かって生きることで成長する。そこででてくる境涯が「超越的自我」
またそうするとどうしても他者とぶつかることが避けられないそれを克服するに至るのが「去私的自我」といって人や社会の役に経つという境涯。

ただ、去私的自我は、時に清廉潔白すぎて自分を捨てた犠牲的な生き方に傾いてしまいがち。そこで超越的自我と去私的自我を統合して統合的自我という境涯に至る。

この、社会は、利己と利他のバランスによって成り立っているという考え方に共感する。

 人間というのは不完全であるがゆえに、その高い境涯に留まることができません。そして人間は、利己的にならなければならない時もあれば、利他的にならなければならない時もある。また利己と利他を調和させて生きなければならない時もある。

 であるがゆえに、境涯にとらわれないという自在的自我こそが感性論哲学が目標とする最終的な境涯のあり方である。

 そして、こう締める

要は職業を通じてこの矛盾に満ちた現実の中で自らを磨き、高めていく。これが人間として追求すべき生き方の基本だと私は考えている。

それを受け手の田口氏は、こう応じる。

人間、命を輝かせ、常に何かに挑戦して生きて生きることが最も大切だということです。ですから、誰もがいきいきと生きられる社会を維持していためにも、お互いに助けあっていかなければならない。 
 それからもう一つ、やっぱり生き甲斐というものを感じて生きることがとても重要です。

 人間というのは余計なものばかり抱えていきていますが、いかに余計なものを減らしていくかがとても大切です。我われのように八十まで生きた人間はなおさらで、余計なものをどんどん削ぎ取って、生きる根本、真の生き甲斐を見出していかなくてはならない。

人間、不完全であり矛盾に満ちているがゆえに、他者との調和が必要であり、バランス、中庸が必要である。また不完全であるがゆえに、シンプルに根本重視で生きていく。そんなことを考えさせられた。

国語を忘れた民族は滅びる

数学者の藤原正彦氏に対するインタビュー記事である。
タイトル通り、国語教育の重要性を説く。

「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数」

確かにその通りだと思う。
特に興味深かったのは、以下の2点。

一つは、「論理と情緒」について。

AならばB、BならばCと展開するのが論理の世界。ただ、出発点のAは、常に仮説であり、この仮説を選ぶのに重要になるのが実は情緒なのです。
つまり、どういう親に育てられたのか、どのような友達や先生、書物に出会ってきたのか、どのような恋愛やどのような悲しい別れを経験したのか。これらすべてがその人の情緒となって出発点を選ぶ。だから論理と情緒は分けることはできない。

もう一つは、「読書ゼミ」ついて

読書を通じて、日本の素晴らしさに目覚めていく学生たち。私も参加してみたいという気になる。
 河合栄治郎という戦前の経済学者の「本は絶対に借りるな、図書館からも友人からも借りるな。必ず買って本棚に置いて何度でも読め。そうしないと血肉にならない」という言葉を紹介する。
 
 これは、本当、名言だと思う。線を引きながら、書き込みながら読む。そうしないとなかなか身につかない。

 致知。購読しているが、こうして書く習慣が無いと、忙しいときは、読まずに1か月過ぎてしまう。これはもったいないと改めて考えさせられた本号であった。




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