なぜweb業界を脱し公へシフトするため、フィンランドのデザインスクールで学ぶのか
このたびは
今年の9月から、フィンランドの首都ヘルシンキにあるAalto UniversityのCoID( Collaborative and Industrial Design )というコースにて、デザインの修士をとりに留学することが決まりました。
今年で26歳、社会人も4年目に突入した今、なぜこの意思決定に至ったのか?業界では"ビジネスにコミットするデザイン"という潮流が見受けられ、経産省によるデザイン経営宣言も発表され重要性が認められつつある中、同世代やぼくより若いデザイナーに「ほう、こういう選択肢もあるのか..」と知ってほしいし、また社会や未来のwell-beingに向けたデザインの可能性・実用性についての言説がもっと増えてほしい、という願いでこれを書いています。※根底には資本主義や今の国を取り巻く雰囲気やシステムへの嫌悪感からきており、事業のためのデザインを否定しているわけではございません
目次:⚠️こんな感じで、わりかし長いです。
1. はじまりは「日本から、資本主義から、脱出したい」
2. 豊かさのためには、自己の中に神が必要だ
3. 公教育と市民参加による、豊かさの実現
3-1. Co-Designの可能性を探求する
3-2. 日本の文脈での最適解を探求する
4. なぜ フィンランドのAalto University, CoIDなのか
5. まとめ
6.謝辞
はじまりは「日本から、資本主義から、脱出したい」
今は明確に留学により得たい経験も探求したい問いもあるのですが、はじまりはこの業界・この社会・この国から脱出したいというもやもや、その程度でした。
今、自分がやっていることが本当に豊かさにつながっているのか?という疑念が晴れず、またweb業界に身をおいていて、なにかこうデザインが資本主義のシステムに絡み取られている感覚があって、その気持ち悪さが自分の中で拭えなかったことが大きな原因でした。哲学のない話ばかりで、閉鎖的な空気感からつまらなさと居づらさを感じたりしてました。もちろん、そうじゃないケースもたくさんあり、日本にいる最後の仕事として昨年10月から5末まで関わった古巣のALAN PRODUCTSでのLGBTQ+事業の立ち上げでは、ひたすらメンバーと思想や哲学について議論し意思決定を行っていく中で、希望も見えました。
しかしもやもやの原因が、その背景にある今の社会構造の縮図なのだと思い至り、やはりこの業界からも今の日本からも脱出しないとまずい、という危機感がありました。ルチアーノ・フロリディ教授が言うように、人間は石のようなもので、落ち続ける水の雫が石の形状を変えるように外的な影響をもろに受けて形作られます。水の雫が当たらないところへ行こう、とそう思いました。
豊かさのためには、自己の中に神が必要だ
とはいえ、一度外にでようと思ってからは改めて自分と向き合い始めました。ぼくの中で探求したい最大の問いは、僕が所属するSTANDARDとのミッションと重なり、どのように豊かさにつながる仕組みをデザインできるかです。海外を考える前から、ずっと豊かさとは何かを自身の中で反芻し続けていましたが、自分なりの仮説がうっすら見えてきました。
豊かさとは自分なりの自由の基準を理解した上で振る舞うことに他ならないと感じるようになりました。それは言い換えると自分の芯であり、教義であり、信じられるものです。コレは自分の中で絶対的なものなんだという"拠り所"となるような、キリスト教におけるイエスのようなものです。尊敬する山本ふみやさんの言葉をお借りすると、芯=神なのです。
もともとは村社会で共同体を形成していた日本が戦後の都市化と工業復興から村が解体し、都市化がはじまり、会社が共同体の肩代わりをするようになりました。しかし、急速なグローバル化とテクノロジーの発達から流動性も増し、会社もその共同体としての役割を担えなくなってきたことで、自己アイデンティティの帰属先を失っている人が多くいる現状です。マクロ的な時代の変化は価値観の変化にもつながり「大きな物語」が失われた今、宗教性をもたないゆえ特定の拠り所を見いだせないまま虚ろな日々を送るのが現代の日本です。だからこそ、その中で1人1人が自身の芯=神をもち、一人ひとりが自らの物語を紡いでいくことが豊かさへ通じるのではないかと考えています。
上記の考え方は、一人一人が異なる宗教に属している状態とも捉えられます。その際に、起こりうるのが「何を信じるのかが異なることによる宗教の対立」です。総体として豊かな日本につなげていくためには、一人ひとりが自分の中に神をもつと同時に、互いの神と教義を認め合えることが必要なのです。これはヘーゲルの言う「自由の相互承認」そのままです。
自分なりの芯をもつこと・互いの芯を認めあうこと・芯を軸に人生の自由を実現させていくこと。これらにフォーカスして行くことで、誰もが自由な人生と社会を形作れる「日本なりの豊かな市民社会」の創造に貢献したいんだと思います。
公教育と市民参加による、豊かさの実現
こうして豊かさに繋がる"種"が見つかり、そのためには何が必要なのかを考え始め、2つのテーマが鍵になるのだと思い至りました。
1つは公教育。教育哲学社の苫野一徳さんが「教育の力」で述べておりますが、公教育の役割とは自由を実現する力と自由の相互承認の感度を育むことです。現代の兵隊育成教育では、1+1=2ばかりであり、あなたはどう考え、何に興味があるか?と問われることなく個性・関心・情熱は排除されます。自身と向き合わないまま成長した果てに行き着くは、資本主義社会であり、このシステムの言語コードは、市場に求められるorNotです。つまり、市場が評価の全てでありそのための思考/振舞いに支配されます。
どこに自分の芯を見出す機会があるでしょう。本来、教育は万人が先天的な能力や環境の差を自ら超えてリセットする「生きる力」を養うことがその本質です。そうした力と、自己肯定・他者肯定・他者からの肯定を通して相互承認の感度を育める基盤を築き上げることが求められます。
もう1つは市民参加による社会実装です。今、生きづらさを感じている人々やそれぞれの文脈や立場から課題に直面している人々。そうした異なる立場の人を1つの場に巻き込み、個人が他者やその延長にある自分たちの社会との関係性を見つめ直しながら、実存的問題に向き合っていくことです。
そしてコレを実現していくために留学中に探求していきたいことが、Co-Designの可能性と日本での文脈にあわせた在り方です。
1.Co-Designの可能性を探求する
Co-Designの思想は、すべての人が創造的であるという人の可能性を信じていること。その思想に則り、立場を異なる人が自らの経験とアイデアをもって対話を重ね、意味を生成していくことで示唆を得るデザインアプローチです。しかしこのGenerative Designという位置づけより、ぼく個人的には「参加」による人々の内的成長の兆しを生むCo-Designという側面に期待しています。課題/テーマを通して、現状を捉えながら、自身と他者・自身と社会の関係性を問い直し、自身の望む自由を他者の自由を毀損せずに実現しうるデザインを施していく。その参加プロセスを通して、自身の自由の基準に向き合うことを促し「いち個人」を「自由を実現する力をもったデザイナー」に変容させていくとともに、共通了解をとりながら相互承認の概念の実態を理解していくことができるのではないかと思っています。
つまり、公教育における「自由を実現する力と自由の相互承認を育む」という役割をCo-Designの観点からのアプローチすることであったり、その役割や教育アプローチをCo-Designの枠組みから捉え直すことで、公教育に留めずに拡張させることができるのでは?と思っています。
2.日本の文脈での最適解を探求する
とはいえ、上記の探求のためには前提の違いを考慮する必要があります。ぼくが留学しにいくフィンランドを始め、北欧諸国を代表とするデモクラティックな社会や市民参加をただ叫んでもおそらく上手く行きません。日本は西洋のような「自立した個人」と「個の集合体からなる社会」という関係性を持ち合わせていません。「個人」も「社会」も明治時代に初めて輸入された概念であり、今は形だけをなぞっている状態で、社会の中に生きる前に"世間"の中にふわっと位置づけられているのが私たち日本人です。その個と社会の関係性という前提の違いを踏まえ、日本の文脈に合わせて向こうで得たものを分解・再構築することが求められます。
例えばこんな感じに考えるとか(雑)👇
文化・歴史のコンテクストを理解した上で現状構造が成り立っているのだということを向こうで暮らしながら読み解き、Co-Designのベーシックな思想と方法論の知識基盤をつくり、どうすればそれを日本社会の現状に合わせてスケールする形へと作り変えることができるのか?を探求すべきことかなと考えています。
なぜ フィンランドAalto University, Collaborative and Industrial Designなのか
最初はふわっとサービスデザインが学べるところを複数を洗い出していましたが、想いがシャープになってきたために、最終的にはほぼ迷わずAalto University一択でした。とはいえ情報収集の際に、交換留学でAaltoでいった先輩方はいても、Master Studentとして学んでいた方は日本で見つからず、リサーチの手段としてのキャンパスビジットは行いました。(大学選びや受験のプロセスなどは、ご要望があれば記事を書こうと思います)
なぜフィンランドなのか?という理由としては
・非常にデモクラティックな社会かつDesign cityとして政府にCDOがいるなど行政レベルでデザインを重視している
・自由を育む最先端の教育システム
・度重なる変化に対応してきた国としての柔軟性
こんな感じでして、Aalto UniversityかつCoIDを選んだ理由としては、
・Co-Designを政府との協働プロジェクトにて実践として学べる
・常に実践重視で活きた経験から研究に落とし込むスタイル
・30単位は他のコースからの授業がとれる!
といった感じです。Aalto Universityはどんなところかといいますと、高名な建築家であるアルヴァ・アアルトにちなんで名付けられたわけですが、元はビジネス・エンジニアリング・デザインの領域にまたがる大学を2010年に統合した、政府基金の大学です。webサイトの、ミッション;Shaping the futureやビジョン;an Innovative Society、また掲げている戦略目標から、多様な領域を統合しつつ、実践と研究を行き来することで変革を生み出せる人材輩出に重きを置いてます。座学でなくクライアントを持つ実践プロジェクトによる、最前線の現場感を保ちつつ研究ができる環境です。
その中で、ぼくが学ぶCoIDのOverviewは
CoIDはデザインイノベーションに焦点を充て、社会の中でのデザインの役割を深く理解し、コラボレーター/イノベーターとしての両義的役割を果たすための技術や能力を育むコースです。デザイナー以外の多様な職種と共創しつつデザインプロジェクトをリードし、共同体や組織における変革を形作るための卓越した能力を育て上げます。
というように、「共同体の変革および価値創出を通した社会づくり」を大きな文脈に置きつつ、Product DesignからService Design, Strategic Design, Co-Designまで広く取り扱っており、自身の志向性に合わせて授業を取れるコースになります。ぼくは、Co-Designを活用した社会変革のためのサービスデザインを集中的に学びます。
また、Aaltoの特色として30単位分は全く異なるコースから授業を取ることができ、ぼくの場合は Creative Sustainabilityコースで提供しているDesign for Government(フィンランド政府の各省庁をクライアントとして"どうしたら持続可能な地産地消モデルの確立できるだろうか?"、"どのように国の電力消費を減らせるだろうか?"など国家課題に対するデザインソリューションを民間企業や市民・政府役人を巻き込みながら創出する授業)を取ろうとしています。
まとめ
・今の業界にいては豊かさに繋がるデザインができないと思った
・業界やその延長にある日本社会の閉塞感と資本構造から脱出したかった
・教育と市民参加社会におけるCo-Designの可能性を探求したかった
・北欧の対話文化・はぴったりだった
・教育最先端かつデザイン国家のフィンランドはぴったりだった
・Aaltoの行政・市民をCo-Designのカリキュラムがぴったりだった
という感じで、今年の夏から飛び立ちます。2年間でしっかりと問いに向き合いながら、帰国後に具体的にその答えをどう実現していくのかを見極めていく期間にしたいと思います。
同じような社会に対してのデザインのまなざしを持つ方、公の領域でデザインを活用していきたい方、行政で働かれている方、豊かさのために教育改革を推し進めていきたい方、同じような問いや課題意識を持つ皆様、是非お話したいです!!!ご連絡いただけると嬉しいです!!!突き進む"道"が交わるのであれば、一緒に進んでいく同志をどんどん増やしたいと思っております。
最後に:助けていただいた皆様・留学を検討する皆様
デザインスクールへの留学を考え始めたときは真っ暗闇でわからないことばかりでしたが、ひたすら先輩留学者や海外でデザイン経験を持つ方に会いに行ったり、Facebookで現地生徒にアポとってキャンパスビジットにて案内してもらったりしました。本当に突然の連絡や不躾なお願いにもかかわらず、ご尽力いただいた方々、感謝が尽きません🙇🙇🙇🙇🙇🙇
また、そもそも豊かさとは?どうデザインがそこに寄与できるの?という自身の中でくすんでいた問いに改めて向き合えたのはSTANDARDがあってこそでした。本当に本当に感謝が尽きません🙇🙇🙇🙇🙇🙇
最後に、デザインスクールへの留学や北欧、公共や社会に対するデザインのあり方について、もし気になっている!という方がいればぜひご連絡ください。留学だけでなく、海外に出たい方なども大歓迎。ぼく自身、多くの方に連絡して助けてもらいました。一次情報がとりわけ少ないために、連絡いただいた際には、できる限りの情報提供やサポートをします!!