先生と呼ばないで〈100/1000〉
【ラジオ体操405日目】
『ニコチンレス生活126日目』
こんばんは。
なりたい職業として選択するものが「先生」とよばれるものばかりだけど、先生とよばれるのが嫌いなコマリストです。
今日は『先生と同志の違い』というテーマで書いていきたいと思います。
医師→教師→現在の職業
真ん中の教師については「なりたい職業」では無かったけれど、大学が教育学部だったので、なる可能性があった職業です。
過去に紹介した通り、私はこれまで30の職業を経験してきているので、経験した職業という意味では異なるわけですが・・。
なぜか、「先生」と呼ばれるような仕事の方に向かう傾向があるなと思っています。
先生と呼ばないで!
本気でそう思っているはずなのに、実際と異なるので、もしかすると望んでいるのかもしれないですね(笑)
今日は、私自身が思い上がらないためにもいつも意識しつつ、お願いしている”先生と呼ばないでほしい”という気持ちに関するお話です。
自戒の念を込めた内容ですが、先生と呼ばれる職業の方には響くのかもしれません。
呼称が人を作る?
なぜ私が先生と呼ばれることを嫌うのか。
これは、恥ずかしい話ですが、私自身が調子に乗りやすいタイプの人間だからです。
ちなみに、私と同じような仕事をしている人で、上から目線が理由になって契約打ち切りになった方を沢山知っています。
けれど、これはその人が悪い訳では無いと思うんです。
お会いする度に「先生」と呼ばれ、発言する度にそれが答えであるかのように扱われ、困った時には真っ先に相談され、上手くいった時には先生のおかげだと言われ・・。
こんなことを繰り返しているうちに勘違いしてしまってもおかしくないですよね。
けれど、私は先生ではありません。ましてやお客さんは生徒ではない。
共に壁に立ち向かい、持てる限りの知恵とアイデアを絞り出す。
けれど、最後に全ての責任を背負って、行動に移し、成功も失敗も噛み締めるのはお客さんなのです。
一見、勉強を教える先生と、受験に臨む生徒のような関係にも見えなくは無いですが、全く違います。
何せ、扱っている問題には『決まった答え』が存在しないのだから。
ということで、私は自分のことをパートナーだと思って頂きたい。
コマリストさん!
そう気軽に呼んで欲しいんです。
共に戦う仲間として認めてもらえた気がするから。
呼称が「先生」から「〇〇さん」に変わった時、初めて同志だと認められたんだと安心します。
”先生”は受け入れないのか?
とはいえ、ものすごく信頼して頂いて、良い関係性が築けているのに”先生”と呼ばれることがあります。
この傾向は、若手経営者ではなく、60歳以上の経営者さんに多い傾向があるように感じています。
こういった場合、私のような若輩者に対して、もったいない言葉だと思いつつも、受け入れるしかない。
なぜなら、何度もお会いして”先生では無い”とお伝えしているにも関わらず、先生という呼称が定着しているから。
この期に及んで、
「先生なんて呼ばないで♥」
なんて言ったところで、何も変わらないどころか、相手を否定する行為にすらなりうる。
ということで、こんなケースの場合は「先生」と呼ばれることを甘んじて受け入れるようにしています。
先生と呼ばれるレアケースについて、ここまで丁寧に考えた上で、呼ばれることを受け入れる。
こうすることで、前半に書いたような『思い上がり』を避けることが出来る。
こんな記事を書いている時点で、まだまだ思い上がりがあるのかもしれません。
私は先生なんかではない。
私は親愛なる隣人で在り続ける。
決意表明の目的と自戒の念を込めて。
じゃ、またね!
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