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ヒッピーやゲイ、レズビアン文化が生まれたサンフランシスコ。そのせいか、今まで周ってきたアメリカの中で、一番自由な空気が流れていました。 まず、グレハン(アメリカのバス会社。僕はここの1ヶ月フリーパスを使用している)の女性スタッフの接客がよかったです。3日に1回はバスに乗っている僕としては、これは重要です。僕のフリーパスチケットを入れているボロボロの紙を見て、それ専用のチケット入れもくれました。それをもらうまで、そんなものの存在を知らなかったです。久しぶりにサービスを味わいま
サンフランシスコからラスベガスまで、バスで14時間かかります。時間の感覚がおかしくなってきたので、24時間以内の移動は早いなと感じるようになりました。 いつもなら、バス停に到着したら宿を当てもなく探しますが、今回は違います。ネットで調べてきました。ラスベガスには安宿らしきものが2つほどあり、一つはネットの状況を見ていると満員だったので、もう一つの空いてるほうを目指します。 金曜日で観光客がピークに達するらしく、宿もフルになったり高くなったりするらしいので、バス停から予約し
17〜20億年前の長い年月の地層が一度に見れるのは、世界でもここだけ。グランド・キャニオンのガイドブックを読むと書いてありました。「へえー、そうなのか。もう、それだけですごい」と、言うしかない。 申し込んだツアーは日本人の人がガイド兼ドライバーをしてくれるので、気軽に話ができてよかったです。62歳で名前はジミーさん。アメリカに来て38年になります。「アメリカ人の半分は馬鹿ですよ」と、言っていました。それを聞いて、僕はもうちょっと多いかなと思いました。ただ、賢い人は半端じゃな
ロサンゼルスからティファナというメキシコの国境まで、バスで移動。ここ1ヶ月はバスしか乗っていません。 ガイドブックを読むと、このティファナには72時間以内なら入国カードなしでも入国できるので (ノーチェックで国境を通過できる) これにつれられて、入国カードももらわずにメキシコを南下して行くと、不法入国者になってしまうとのこと。なるほど。これは入国カードを確実にもらわないといけない。 バスがティファナの国境で止まった時に「欲しい。入国カード!」と、運転手に訴えると「わかった
メキシコのカンクンから、キューバのハバナまで飛行機で1時間。キューバでは、ツアーで航空券からビザ、ホテル、ホテルの送迎など、おまかせしていたのでとても楽でした。キューバの空港に到着したらホテルまでの送迎車に乗り、ホテルに着いたらチケットを見せて、部屋でゴロゴロとしていればいいのです。 ホテルに着いた時は夕方でしたが、時間があまりないのでさっそく街を散歩します。宿泊しているホテルは首都ハバナの旧市街にあり、街並がヨーロッパみたいでしたが、お店に入ると「物」が極端に少なかったで
メキシコの夜行バスに乗車して、ベリーズを越え、グアテマラまで向かいます。ベリーズは滞在6時間と通りすぎるだけなのに、ビザが高いです。ビザ代がUS50ドルなのだけれど、US100ドル没収された学生の話も聞いたりしました。 実際、僕が国境のイミグレに行くと、当たり前の顔で「100ドル、100ドル」と言われます。「いや、通りすぎるだけだから」と言っても、「100ドル、100ドル」と言い出す係員。結構、粘ってみたけど、僕の乗ってきたバスをかなり待たせていたので、しぶしぶUS100ド
世界の十字路と呼ばれるパナマの首都パナマ・シティ。ここは、南北アメリカ大陸をつなぐ陸地で最も狭まった場所だったので、1914年に人類史上最大の土木工事でパナマ運河を作りました。要するに「船でアメリカ大陸を超えるには、北極の方か南極の方にでも回らなければ行けなかったけど、大陸を掘って掘って掘りまくって、船も通れる河を作り、遠回りしないでここから大丈夫だよ」ということをしました。 パナマ・シティに到着して、新市街にある安宿を探しまわりましたが、セマナ・サンタ(復活祭)の影響で、
南米に上陸し、ブラジルのマナウスに到着。このマナウスはアマゾン河の玄関口になっています。今まで、ユーフラテス河、ガンジス河、多摩川といろいろな河を見てきましたが、この河はスケールが大きいです。でかくて、長いので、乗ってきた飛行機からもばっちりと形が見えました。 宿に着いて荷物を出すと、シャンプーの容器が気圧で破裂して漏れていました。前は歯磨き粉が漏れて、石けんとコラボレーション。その前はムヒと風邪薬がいい感じに混ざりあっていたので、かゆみと頭痛に効くかもしれないです。 さ
コロンビアの首都ボゴタ。「ゲリラと麻薬とコーヒー豆」のイメージしか無かったけど、実際はそんなこともなくかなりアートな街でした。 ブラジルのマナウスの港町が思いっきり体育会系だったら、ここは確実に美術系です。ガイドブックにはコロニアルな街並みと書かれており「コロニアルって、なに?」と思ってましたが、実際に来てみると「なるほど、これがコロニアルなのか」と、意味も分からず納得しました。 カフェが本当に多く、人々は休憩の為に働いているように見受けられます。豆もコロンビア産なのか知
エクアドルにはガラパゴス諸島があり、1週間滞在しました。ガラパゴスの名前はスペイン語でガラパゴ(カメ)に由来しています。17世紀に島にやってきたスペイン人が、のっしのっしと歩く大量のカメに驚き、カメの島と名付けました。1835年にチャールズ・ダーウィンがこの島を訪れ、5週間ほど滞在し、島で彼が発見したことは、島固有の動植物、さらに同じ種が環境により進化すること。この時の調査がのちの生物進化論に反映され、ダーウィン著「種の起源」が世に出て、ガラパゴス諸島は世界に知られるようにな
エクアドルから移動、移動の連続でペルーに入国します。ペルーの首都リマは太平洋に面しており、海沿いはかなりの波があります。波があるので、おのずとサーファーもいて、もちろん日本人サーファーもいて「寒い寒い!」と、ブルブル震えて波を待っていました。 リマの旧市街は世界遺産に認定されていますが、世界遺産の街並というのは、南米のあちらこちらにあるので、ありがたみが感じられなくなってきます。個人的には大型スーパーのほうが何倍も役に立つし、現地のことが知れます。 リマからナスカ行きの夜
ボリビアのウユニ塩湖。「ウユニ塩湖って、何?」と言われても、膨大な塩があるとしか言えません。とにかく見渡す限りの塩が、均一に固まった感じです。世界でもあまりお目にかかれない光景だと思います。 ウユニ塩湖には、塩のホテルがあります。建物もテーブルもベットも塩。そんなホテルに一泊してみます。塩のホテルを見学に来た欧米人には「クレイジーだな」と、言わました。僕も宿泊まではしなくてもよかったかなと、現物を見てすぐに思いました。なぜなら、塩以外は全くたいしたことないのです。 僕が泊
モアイ像で有名なイースター島。チリの海岸から3800キロメートル、タヒチから4000キロメートル、一番近くの島までも1900キロメートル離れています。南太平洋にポツンと浮かんでいるイースター島はどうやってここに人が渡ってきて、誰を祖先にするのか、また、なぜ大きなモアイ像を造り続けたのか、謎に包まれた部分が多い。 「ふむふむ」と、イースター島に向かってる飛行機の中で、ガイドブックを読みます。せっかく行くので、知識を少しでも増やしてテンションを高めていました。 イースター島へ
パラグアイのイグアス市。ここには戦後、多くの日本人が移住してきました。なので、日系の人々が多く暮らしています。そして、ここの日系の人は、とてもいい人が多かったです。 イグアス市でバスに降りて宿の場所が分からず、通りすがりの日本の人に聞いたら、わざわざ1キロも歩いて宿まで案内してくれました。日本には1度も来たことがない高校3年生の女の子で、少しだけ片言な日本語を話せました。「学校を卒業したら日本に行くつもりです」と言ってくれ、どう見ても僕より年上に見え、そして、少しだけ朝青龍