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「自分でしか生きられない」ということ

こんにちは。臨床心理士/公認心理師/精神保健福祉士のまりぃです。

若輩心理職で、臨床心理士試験・公認心理師試験のダブル受験生応援公式LINE臨床心理学専攻大学院受験・Gルート公認心理師自己研鑽専用公式LINEtwitterYouTubeの運営や,豊かに学び豊かに生きる臨床心理士のためのInstagram、最近ではSNS発信/起業のお手伝いなんかもやっています。

あまり公表していませんが,私の趣味は読書と舞台観劇。
今日は,舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」を観て,思ったことを書きます。

ハリー・ポッターという象徴的な物語

個人的な育ちが理由になりますが,私はこれだけ流行した「ハリー・ポッター」なるものを,観たことも読んだこともありませんでした。
大人になってからかなり時間が経ちますが,最近ようやく興味を持ち,観た次第です。
臨床心理学を修めてから観ましたので,「ああ,これは確かに流行るわ」と思いました。
ひどく元型的な,人の心の象徴的な事物が多く登場しますし,人が育ちの中で感じるさまざまな思いや葛藤を象徴するようなキャラクターや出来事も多く出てくるからです。

最早期体験が内的世界に与える影響

例えば,悪役ヴォルデモート。元々トム・リドルという孤児でしたね。
主人公ハリー・ポッターもまた孤児です。
二人とも,恵まれない環境で育ちますが,キャラクターとしては善悪に分かれることになりました。

その理由は単に,「ハリーに仲間がいたから」ではありません。この物語は見事に,幼少期のもっと前,乳児期の体験の重要性を描いています。

そうです。トム・リドルは最初から,愛されない子どもでした。
ハリーは少なくともベビーカーに乗っている年齢までは,両親に愛され,愛ゆえに命も助かりました。

こうした,最早期の内的体験,愛されたことを意識水準で覚えていようといまいと,心の奥底にしまってある体感として持っているかどうか,安全だと安心して過ごした体感があるかどうかは,その後の育ちに大きく影響します……

と,考えていたら,今回の舞台のパンフレットに精神科医のシャーリー・グラシアスという方がコメントを寄せておられ,全く同じことをもっとしっかり1ページかけて書いておられました。なので,これ以上は語りません。もし舞台に行かれた方いらしたら,是非お読みになってください。

育てられた世界観の再演


舞台に話を戻しましょう。
今回の舞台は,父親になったハリー・ポッターと,息子アルバスの葛藤の物語でもあります。

劇中で,ハリー・ポッターが,今は亡きダンブルドア校長の肖像画(魔法の世界の話なので,肖像画と会話ができる設定なのです)と感情を昂らせたやり取りをする場面があります。

ネタバレにならないように詳細は書きませんが,ハリーは父として,息子に愛が伝わらないことを嘆きつつ,自分を不幸な環境に置き去りにしたダンブルドアへの怒りを表明する,そんな場面です。
(*ハリーは前述のように,両親が殺された際に一人だけ生き残っているのですが,その赤ん坊のハリーをダンブルドアは人間に預けます。結果,ハリーは虐待を受けて育つことになりました)

ハリーからすれば,自分を愛してくれているのなら,なぜあの環境に置き去りにしたのかと,父親代わりのダンブルドアに腹を立てています。しかし彼も舞台ではもうアラフォーの大人ですから,「そうするしかハリーの命を守る方法がなかった」というダンブルドアの言葉も,頭では理解できています。それでも,腹を立てずにいられず,ホグワーツに入ってからも自分を愛してなどいなかったのだろうと怒るハリーに対し,校長として並々ならぬ愛情をハリーに注いできたダンブルドアは言います。「私が君を愛していることを,君が知らないとは思わなかった」(うろ覚えなので,厳密には違うかも。以下セリフ類は全部同様です)

一方そんなハリー自身も,自分の息子にひどいことを言ってしまったり,結果息子がとても傷ついて,心の距離が離れてしまったり,そんな葛藤の只中にいます。そうです,ハリーは息子を愛していますが,息子はそのことに気づきません。つまりハリーは自分と息子の間で,ダンブルドアとの間の父子関係を再演しています。奇しくも,ハリーがこの息子につけた名前は,ダンブルドアと同じアルバスです。

どうしようもないことへの「どうして?」

このように,舞台では,映画からの物語全体を通してのさまざまな出来事へ,「どうして?」と問いかけが繰り返されます。

それらは全て,どうしようもないことなのですが,彼らは「どうして?」と問わずにはいられません。ハリーの代わりにセドリックが死んだこともそうです。ハリーだけが,大勢が死んでいった中で生き残ったこともそうです。もっと遡れば,「どうしてトム・リドルは愛されず望まれず産まれなくてはならなかったのか」もそうでしょう。

そんな,どうしようもない問いに,舞台は一つの答えを提案します。

「自分」としてしか生きられないことを受け入れること

対になる二人の「父の息子」たち


舞台を序盤から貫く,最もどうしようもない問いがあります。

舞台では,ハリーと息子アルバスの軋轢が描かれますが,アルバスは父がハリー・ポッターであることが嫌で嫌でたまりません。自分は内気で,魔法も上手くなくて,なのに自分の父親は,かつて英雄的な行為を行い,いまは官僚であるあの「ハリー・ポッター」なのです。

舞台の最初に出てくるどうしようもない問いは,「なぜ僕の親父はハリー・ポッターなんだ?」ということです。なぜあなたの子供として産まれてしまったのか,なぜ自分はこうなのか。こんなにどうしようもない問いはありません。

だから彼は,父が生き残る過程で亡くなった青年を救うために,過去に行こうとします。それが上手く行かなくて,また過去に行って……それを繰り返すのがこの舞台のあらすじです。

さて,アルバスには親友がいます。なんと映画シリーズではずっとハリーに嫌がらせをしてきたドラコ・マルフォイの息子スコーピウスです。

スコーピウスは,マルフォイ家の息子,つまり映画シリーズで父親(と祖父母たち)がヴォルデモート側にいたものですから,その後の世界ではあまり評判の良くない家柄の息子です。しかもそのせいで,あらぬ噂(が本当なのかどうかも舞台の鍵になる)まで立てられて,ホグワーツではいじめられています。

彼もまた,「なぜ自分はマルフォイ家の息子なのか」と考えてもおかしくない立場なのですが,舞台がある程度進行するまで彼からその言葉は出てきません。

しかし,タイムトラベルで失敗を引き起こした後,アルバスとスコーピウスがぶつかり合う時,ついに彼は叫びます。

「君のお父さんはハリー・ポッターだ!これからもずっと,君のお父さんはハリー・ポッターなんだ,それは変えられないんだよ!

「問い」の外在化

スコーピウスは畳み掛けるように言います。
「君は『どうして自分の親父がハリー・ポッターなんだ?』っていうけど,こっちはもっと最悪だ!」

ここで初めて,スコーピウスからこの言葉が出たことは,おそらくこの物語がここまでは「アルバスの視点」で語られてきたからでしょう。
アルバスは,自分の苦悩で精一杯で,自分がハリー・ポッターの息子であることを呪うばかりで,スコーピウスの苦悩は「見ていたけれど気づいていなかった」のです。
しかしここで,スコーピウスが叫んだおかげで,アルバスの「なぜ僕は父の息子なのだろう?」という問いが外在化されました。
つまり,自分の悩みとして,一人称視点で見ていたものを,二人称・三人称視点で見ることができるようになったわけです。

すると,アルバスにも分かります。
自分はポッターの息子であることを,決してやめられない,それは,スコーピウスはマルフォイの息子であることをやめられないのと同じであるということ。

「自分」としてしか生きられない

実はハリーも同様に,自分の生きてきた過程で大勢の人が亡くなったことに耐え難い苦痛を感じながらも,それすら受け入れて「自分であること」を受け入れて生きてきた,ということが,息子のいない場面では描かれていきます。

舞台終盤,ネタバレを防ぐために詳細は書きませんが,メインキャラクター全員で,過去のとある大きな事件を「ただ見守る」ことになります。
彼らは,今なら,その出来事に介入して,目の前の人を救うことができるのだけれど,それをしないで,「ただ見守る」ことを選択するのです。

それは,過去を変えないということは,「今の自分であること」を選択するということ。
その苦痛に満ちた出来事を見守る,アルバスとスコーピウスを含めた主要人物全員は,苦痛に顔を歪めながらも「自分としてしか生きられない」ことを受け入れたように見えました。


追記:良かれと思って越権行為をすることの危険性

もう一つ,この舞台で描かれた心理職のヒントになるエピソードがあります。
それは,そもそもこの舞台のテーマになる「過去へ戻ること」の発端です。

アルバスは,父ハリーが英雄であることに怒りを感じ,ハリーが生き残る過程で亡くなった青年を救うために過去に行こうとしました。
そして,物事は余計に悪くなったのです。
(一度,ヴォルデモートが勝利した世界線が描かれますが,この時の舞台演出が最高です!)

それは,アルバスには介入する権利のないことでした。
ハリーは,ただ,その出来事を上述のように,苦痛も後悔も含めて,全て背負って受け入れて生きることを選択していましたが,アルバスにはそれが理解できておらず,また,「今ここ」のその苦痛に耐えることができずに,過去に戻って青年を救おうと,「自分ならできる」と思ったのです。

この状況,心理や福祉職の私たちが心に留めておかねばならないように思います。

新米心理士/新米福祉士や,専門教育を受けていないカウンセラーの方によくみられる失敗ですが,
良かれと思って(目の前で困っているのだから,助けなきゃと思って)枠組みを破ってみたり,先輩や専門家心理士がやらないなら「自分が助ける!」と思って行動化したり。
結果,もっとクライエント/利用者/患者さんを苦しめることになることは多いのです。

例えば,時間外の対応,連絡先の交換,物品の授受,などが良くある失敗ですね。
私も,最初に精神保健福祉士として実習に行った先の指導者の方に「私たち援助者は,利用者さんの友達ではありません」と言われて,とてもショックを受けたことを覚えています。

例えば,時間外にずるずる相談しようとする方がいたら,枠組みを提示すること。当然,こちらとしては辛いですし,断られる方も辛いでしょうが,それでも「今ここ」の痛みを取り除くために受け入れてしまうと,余計に,互いに傷つき,もしかすると取り返しのつかないことになることも知っているので,お断りして,相談予約を取っていただくようにしますよね。

ですから,アルバスが父の過ちを「正そう」と,過去に戻って一人を救ったばかりにヴォルテモートが勝利した世界が現れてしまったように,越権行為は取り返しのつかない事態を引き起こします。

私たちは,特に自由度の高い職場にいる場合は,必ず,「ただ,今自分がいい人になりたいからそれを行うのか?」それとも,専門家として学び修行してきた中で「そうすることがクライエントの益になると理論的に証明されているので行うのか」自分に問いかけ,客観的な視線を投げかけてから,言葉を発したり,行動したりするようにしたいものです。

長い文章を読んでいただき,ありがとうございました。

普段は,
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で活動している公認心理師/臨床心理士/精神保健福祉士まりぃ

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追記2ただのオタクの舞台感想

お口直しに。笑
最初にちょっと書きましたが,私は舞台が好きです。
普段は海外輸入のミュージカルを見ることが多いです。
(東宝エリザベート,しっかりチケット落選しました)

なので最後にちょっとだけ,舞台そのものの感想を。
まず,舞台芸術がすごい!
ここまで長々語っておいて,なんなんですが,私そこまでハリー・ポッターのマニアではありません(すみません)。だから,本当にハリー・ポッターが好きな人がチケットを取るべきだと思って,観に行くのもゆっくりにしましたし,そんなに良い席では観ていません。(こんなに弁えた舞台オタクなのにどうして,あんなに大好きな東宝エリザに落選したのでしょうか泣)
でも今回観に行ったのはやっぱり「セットがすごいらしい」と聞いたから。

はい,すごかった。最初から帽子浮いてるし。
火は出るし,空飛ぶし,箒は浮くし,魔法を使ってお片付け,みたいなこともしてましたし,本棚に飲み込まれたりもしてます。息子たちは何度も実際に水でびしょ濡れになります。
途中息子たちが行方不明で苛立ったハリーとドラコが喧嘩する場面があるのですが(ここもまた,二人ともただの父親で愛おしい。お前の息子がうちの息子を唆したんだろう?みたいなしょうもない喧嘩です),魔法を使って喧嘩するので,本当に面白いです。
あとね,2階席前方か,1階席前方で見たかったな,という演出があります!それから,1階席通路側に座っていれば,あの方に近づけたかも……‼︎(ネタバレギリギリ)という演出もあります。どっちも私の席からはまあまあ遠かったのですが,それでもワクワクしました。
嘆きのマートルの表現も素晴らしいし,ケンタウロスもすごくリアルです。これらを全部舞台に乗せちゃうのが本当にすごい。
ネタバレせずに説明しようと思ったら「すごい」しか言えないですね……何がどうすごいかは,直接ご覧くださいませ。

あと,私の個人的な一押しは映画の時からドラコ・マルフォイです。舞台版の大人になったドラコも爆イケでした。「わたしたちもハグしようか?」が最高に可愛かった。
ハリーは石丸さんverで観たのですが,生の石丸さんはなんと「蜘蛛女のキス」ぶりでしたので,そりゃもう全然違いますし,やっぱり感情を乗せるのが上手いです。ハーマイオニーは早霧さんでしたが,演技が宝塚っぽくて,とっても男前なハーマイオニーでした。それがまた,魔法大臣になったハーマイオニーにはマッチしていますし,ネタバレで言えませんが,とある世界線のハーマイオニーが男前なので,多分このために早霧さんをキャストされたのかしら⁈と思うくらいです。ちなみに早霧さんを舞台で拝見するのは,宝塚退団後初なので,女性の役をお見かけしたのは初めてです。
アルバスとスコーピウス,二人の息子たちも丁寧に,心の動きを表現してくださっていて,若手俳優さんの有望さにワクワクします。
個人的に嘆きのマートルの再現度にも感動です。このキャラクターだけ,映画から年もとっていないので,「同じ」でないといけませんが,声までそっくり寄せていました。ダンブルドアは……いやいや,落ち着きますね。語り出すと止まりませんので,一応ここまで。全員分書いていたら紙幅が足りません。

というわけで,ただの舞台オタクの感想でお口直ししたところで(余計に濃くなったかも)終わりにしますね。
改めて,長文を読んでくださりありがとうございました。

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