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好きの遍歴
私には大好きなものがたくさんあるけれど、なかでも特に時間とお金を費やしている、いわゆる"二大趣味"なるものがある。ちなみにそれはバンドとミュージカル。
このふたつに関しての私の愛情の注ぎ方がたまにちょっと異常というかだいぶマニアックで、自分でも軽く引くくらいの泥沼状態に陥ることが時々ある。
この話はかなり私の心の中をさらけ出すことになるので、めちゃくちゃ仲のいい友達や同じ趣味で繋がった人にでもほとんど話したことはないし恥ずかしいから公表しないまま墓場まで行くつもりだったのだけど、なにを思ったのか急にnoteに書き始めた次第。だからどうマニアックな泥沼にいるのかという部分に関してはさすがに恥ずかしいから秘密!
今日も私はミュージカルを観た。(この演目は月1で通って観劇している。)
はじめに書いてしまうと、これは『どの程度の時間と労力を捧いでいれば"好き"と言っていいのか問題』の話である。
例えば、バンドファンの間で「私はまだ路上でCD手売りしてた頃からのファンなんだから!」と"古参ファン"がマウントを取ってるあの雰囲気、はどれくらいの人に伝わるのか分からないけれど、、。(そして何を隠そうこの私こそ、数々のバンドのライブ会場やSNS上でマウントを取ってきた女なのだ。)
私の好きの傾け方がこんなにマニアックになった背景には、「私はこれが好き!」と発言することに対して過剰なほどの責任感を感じていた過去がある。
ある日「私、最近○○が好きなんだよね〜」と軽い気持ちで言ったら、○○ファンの友達にすごい勢いでマシンガントークされて共感を求められ、「あ、好きって、こんな簡単に言っちゃダメなことなんだな、、」って思った(察した)経験が思い浮かぶ限りで何回かある。私の周りは好きなものをピンポイントに絞って全力でハマっていくタイプの人が多かったのかもしれない。
まあ今考えればそんな状況はありふれたよくあることで、だから私の心が弱かったという問題も間違いなく大きい(笑)
そこから私は「どのくらいの知識とファン歴があれば"好き"と公言することを許されるんだろう、、」を考えに考えまくる日々を過ごす。ガチファンからのマウントが怖すぎて、自己紹介で「〇〇が好きです」と言えなくなるくらい"好き"を発信することに自信が持てなかった。(すごく好きと思っても、「自分より好きな人も山ほどおるだろうな〜」と考える癖は今でも常に健在。)
そして「ファンの母数が少ないマニアックな"好き"を作れば、マウント取られることは格段に減る」ことを発見。これに気付いたのは中学生くらいの頃。
でもこの考えはまだまだ甘くて、実は母数が少ないマニアックな"好き"を持つ集団の中にこそ、マウントの取り合いと言う名の戦場が広がっている。(母数が少ないからこそファンひとりずつの声が大きくなるのが大きな理由だと考えられる。)
中学生の少女はマウントの取り方・かわし方・マウントにマウントを取る方法、、"マウントとともに生きる術"を学んでいくのであった、、、
マウントってのは「俺テスト勉強やってないから〜」って言いながら満点取るアイツと同じで、社会生活をしていれば誰でも遭遇したことがあるものだしそもそも誰もが持ち合わせている心理だと思う。
ちょっと謙遜しながら自慢するところが日本人ぽいしすごく人間らしくてなんかいいな〜って思う。マウントと思えばマウントだけど、愛情表現だと思えばそう受け取ることも可能。
というのはいいとして、マウントの戦場で揉まれながら私は多種多様な好きの形とファンの形、応援の形と愛について学んだ。愛だなんてちょっと深すぎると思うけど、考えに考えて突き詰めたら「愛するとは?」ってなった。この話に関わらず、だいたいのことは愛から始まるし大きく言ったら愛に繋がると私は思ってる。
そもそも好きって気持ちは人それぞれで、ラインを引いたり点数をつけたりできるものではないし、それをどう表現するかも各々の自由だ。
アイドルのファンに「あの人と付き合いたい!結婚したい!」って人がいれば「画面の中にいるからいいんだよね〜」派の人もいるのがいい例だと思う。両者ともファンであることに間違いない。
そうこうして人生経験を積んでいるうちに、私はなりふり構わず好きなものを好きだと言えるようになって、そしたらより一層「好きだからこそマウント取りたくもなるんだよな〜わかるわかる」ってマウントに理解のある人間になった。好きってのは難しいけど自由であっていいんだよな。
ここまでマウントがどうのこうのとかいろいろ言ったけど、マウントにびびってた私は本気で好きになれるものと出会えていなかったという一説もある。
"好き"って自分の中からむくむく湧いてくるものじゃなくて運命的な出会いから始まるものだ。絶妙なタイミングで運命的に出会えた時にこそ、爆発的な"好き"が生まれる。
わあ!好きってすてき!!
とにかく好きなものがあって、それを好きって言えるってすごく幸せなこと!!
てなわけで、難しいことたくさん考えて回り道してきたけれど、「大好き!」と言える幸せを噛み締めて今日も私は生きている。
そして"好きなことを好きって言うこと"をnoteに書けることもすっごく幸せだ〜〜!
"好きの形"の今後の変化に乞うご期待しておこう。
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