【体験談〜再婚シリーズ〜4】タロット的に見る、継母になった私の心
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マルソルです。
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(前回までのお話)
前回までのお話を読んでから続きをお読みいただくと、わかりやすいかと思います。
引っ越しと再婚
団地を出ることになった私は、今後みんなで住む場所について夫2と話し合いました。
状況としては、夫2の長男Aくんはその頃中学生になっていました。
そして、夫2の娘Bちゃんと、私の息子Cは同い年、小学生の2人は同級生です。
それを踏まえて、優先的に次のような条件を決めていきました。
小学生組2人は同学年のため、Bちゃんの通っている小学校にCが転校して来て2人が居心地悪くならないために、小学校は転校すること。
そして、金銭的なことを考えて中学生のAくんは転校しないこと。
つまり、Aくんが通っている中学校の学区内にある小学校に転入できるように、その周辺で済む場所を探す、ということになりました。
秋頃から物件を探し始め、すべての条件が揃って引っ越しに取り掛かる頃には、季節は夏を知らせていました。
子どもたちの夏休みのタイミングに合わせ、私たちはそれぞれの場所から引っ越しを済ませ、小学生2人は2学期の始めから転入するという形になりました。
その引っ越しの渦中で、私たちは婚姻手続きを済ませました。
バタバタと引っ越し作業に追われ、その過程の一環として籍を入れたという方が正しいかもしれません。
ただその慌ただしさのおかげで余計なことを考えずにすみ、思い切れた、という感じでした。
勢いに任せた怒涛の流れ、まさにワンド8の状態でしょうか。
こうして私たちは、お互いが子どもを持つ親同士の再婚で、「ステップファミリー(子連れ再婚家庭)」となりました。
似てない2人
再婚して1番大きな変化となったのは、やはり「継母」という自分の立ち位置でした。
子どもを持つ母親が、社会的繋がりを多く持つ場所、それは学校行事やPTA、子ども会の活動、地域役員です。
当然私も引っ越し先で、「母親」である私がそれらを任されることになり、あちこちに顔を出し活動に参加することになりました。
転入後すぐ、クラスは別々にしてもらった小学生2人の参観後、続けて懇談会にも参加しました。
役員さんしかいない少人数の懇談会。
やはり転入した子どもたちのことを見て思ったのか「双子?似てないから一卵性か」と何気なく言われました。
同学年に2人の子どもが来れば、そう思うのもおかしくないことだと思います。
私もわざわざ再婚を機に引っ越してきたという為にそれを否定するのもおかしい気がして、曖昧な反応して返しました。
そんな ”小さなこと” を1つずつこなしているうちに、慣れない環境と慣れない「継母」という立場から、私は「自分がしっかり母親の役目を務めなくては」と思うようになっていきます。
良い継母
少し話はさかのぼりますが、再婚前から私は、当時交際中だった夫2の子どもたちと距離を縮めようとできる限り努力をしていました。
夫2が週末仕事の時は、子どもたち3人と公園に出かけたり、お菓子を一緒に作ったり、ご飯を作ったり、いつかは一緒に暮らすことになるかもしれないという気持ちは持っていたので、子どもたちとも良い関係でいたいと思っていました。
それとは逆に、夫2は私の息子と距離を縮める努力をしているようには見えませんでした。
何度か、息子は恥ずかしがって自分からは声がかけられないから、夫2から声をかけてあげてほしいということや、距離を縮めて欲しいと伝えたことがありましたが、結局私が期待するほどの関係にはなっていませんでした。
決して冷たく当たったり、暴言を吐いたり、手を挙げるという攻撃的なものは一切ありませんでしたが、我が子に比べて関心が低いというのは隠せませんでした。
程よい距離感と言えば聞こえはいいですが、お互いが子どもを持つ親同士。
我が子のように相手の子に接する努力をするというのは、最低限守るところだと私は思っていました。
そして再婚しそれぞれのコミュニティと関わるうちに、最初は「自分がしっかりしなくては」この人たちを支えられない、という気持ちだったところに、私は世間の「継母」像にならないように「ちゃんと母親もしなきゃ」が加わっていきました。
この思いが強くなる背景に、私は両親から「継母」になるということに関して、両親の想いを背負っていたということも加わっていたように思います。
両親はともにそれぞれ、「継母」や「継父」のもとで育ち、実子とは違う態度や扱いを受け、傷ついてきた子ども時代がありました。
それゆえに、自分たちと同じ経験を "私が継子たちにさせないように" ということを聞かされていました。
私はそれもあって、「継母」の悪いイメージの自分にならないようにしなくてはと強く思うようになっていったのかもしれません。
このように思っている時の私は、「良い家族を作るべき」「良い母親であるべき」といった、社会の常識を自分に押し付けていました。
これは1度認められなかった私の、また認められたいという心の奥にある欲求です。
ちなみ、両親は私に継子たちと実子分け隔てなく関わるように言っていましたが、逆に私の息子Cと夫2の関係については一度も触れたことはありませんでした。
触れられてもきっと困っていたと思いますが…。
同じように、夫2の両親との会話の中でも、私と継子たちとの関係について頼まれることはあっても、自分たちの息子が継子であるCに対してどう接しているか気にしたり、接し方について配慮を促すような言葉をかけているところは見たことがありませんでした。
こうして、私の中で「継母」と「継父」の周りからの捉え方の違いを感じて、「どうして私だけ?」という気持ちになっていったのは言うまでもありません。
「継母」と「継父」
繰り返しになりますが、「継母」と「継父」という同じ立場にあるのに、お互いが対等に努力をしているようには見えません。
これにはどうしても疑問に感じずにはいられませんでした。
私の中で「8.正義」のカードのように、私と夫2、それぞれの子どもへの関り方を天秤にかけ、釣り合っていないと感じていたのでしょう。
私の周りにステップファミリーや、継母になっている知り合いはいません。
どんな関係を作っているのか、私が望みすぎているのか、そういったことを判断するにも情報がほとんどありませんでした。
世の中には「継父」と「継子」との関係が良好な家庭もたくさんあると思いますが、それが夫2にはできなかった。
ただそれだけのことだったと今は思います。
例えば、私がAくんやBちゃんと仲良くなろうと関わると、息子Cに関われないわけです。
きょうだいをお持ちの方は経験があると思いますが、いわゆるヤキモチというものです。
実子のきょうだいでもあるヤキモチのフォローが難しいように、きょうだい関係ではない間柄で感じるその気持ちは、「友だちにお母さんを取られた」という気持ちに似ていたはずです。
そのフォローを夫2にして欲しかったのですが、彼は「継父」としての役割もよくわかっていないようでした。
さらに夫2は性格的に嫉妬深いところがあり、私が3人平等にみていたり、彼の子どもどちらかだけと出かけても特に何も言いませんでしたが、Cだけと出かけた時は、引き合いに自分の子を出し、「Bちゃんは?」と言われました。
私は、Cだけを連れて出るとそんな風に言われるのが嫌で、こっそり2人で出かけたり、何か理由を作って2人で家を出られるようにしていました。
私は、「普通の家族」を手に入れたつもりでいました。
けれどふたを開けてみれば、別々の家族がただ同居をしているようなもの。
結局「普通」というのは私の勝手な「理想」で、その「理想の家族」にはならないんだとわかり始めていました。
ただ、一緒に同居しているだけの関係と思うには、「継母」としての役割があまりにも多いということを、この後もっと多く経験していくことになります。
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つづく…
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