【コラム】上場企業の「広報職」にエントリーしたらあれよあれよと最終面接まで進んだ話
こんにちは、丸信グループで広報を担当する田中(@marusinofficial)です。広報業務の経験はまったくないのに広報担当として入社し、まもなく4年目が終わろうとしています。長かったのか短かったのかは分かりませんが、なかなか内容が濃かった4年だと思います。5年目以降、さらに内容を濃く充実した広報業務を行っていきたいところです。
さて、今日は、過去に1度だけ別の会社で「広報職」の求人に応募したことがある話をしてみようと思います。
もともと東京で新聞記者をやっていて、その時に取材先として対応いただいた企業の広報担当者がどなたも楽しそうで、生き生きしていて、オシャレで、一種の憧れみたいなものがありました。それでいて、何となく自分にもできそうな仕事ではないかと。
ただ、「広報職」は新卒採用者の中から選抜されて、段階を経て広報部門に配置されるイメージで、中途で募集されるという認識はなかったので、憧れはあったけど半ばあきらめていました。
10年近く務めた新聞社を辞めて、初めての転職の機会が訪れました。マスコミを第一候補にしながらもその他の業界も幅広くリサーチしてました。楽天やソフトバンクの中途募集に応募した記憶もあります。そんな中で目に留まったのが、上場している大手システム開発会社の広報職(「社内広報」担当)でした。新聞記者時代に何度か取材にも行ったこともある、よく知っている企業でした。
エントリーすると選考スケジュールがメールで届きました。こんな感じです。
説明会
↓
書類選考
↓
1次面接
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2次面接
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最終面接
さすが上場企業。中途の1名採用なのに選考のハードルが多い(^^; これを見るとダメもとで挑むしかありません。
まずは、指定された日に説明会に行ってみると、そこには40人のほどの参加者。ここでも心折れる風景が。人数もさることながら、参加者の多くが女性でみんなオシャレ。少ないながら男性参加者もいて、自分が絶対に着ないような色のスーツをナチュラルに着こなしていたり、カジュアル過ぎないカジュアル感で業界人っぽい人もチラホラ。そんな雰囲気にのまれ、こりゃ無理だわ、と思いつつもとりあえず書類を提出しました。
書類選考を通過し1次面接へ進むことになりましたが、すでに諦めていたこともあり、周到な準備をすることはせず(落ちるから無駄な努力はしたくないw)いつもの自分を出していくことに。
それでも、アピールポイントはしっかり絞りました。それは、新聞記者の経験を生かした「コミュニケーション力」「取材力」「文章力」には自信があること。また、仕事ではないけどプライベートでスポーツ(フットサル)ブログを毎日書いていること。とにかく、ここだけは誰にも負けない感を出していくことにしました。
すると、その作戦が奏功し1次、2次と通過。その会社ではフットサル部が発足したばかりで、1次面接では面接官とフットサルの話で盛り上がったのを覚えています。また、選考の過程で採用担当者の人とも少しずつ仲良くなっていきました。
迎えた最終面接当日。
すっかり打ち解けた採用担当者から面接前に別室で説明がありました。採用された場合の条件提示や福利厚生、社内制度など。一通り説明を受けると、
「最終面接は2名ですが、田中さんなら大丈夫です。頑張ってください!」
と思わぬエールをいただきました。最初の説明会にいたオシャレ軍団に勝利したことに対する変な自信も湧いてきました。オシャレじゃなくても評価してもらえるんだ、と。
ほどなくして名前を呼ばれ、役員数名のいる最終面接室へ。3人ほどの役員らしき人の前で、しかし撃沈。自分でもはっきりわかるようなダメ面接でした。その中でうまく答えられなかった質問がこれ。
「ご縁があって入社した場合、どのようなビジョンでステップアップしていきたいですか?」
ビジョンとか、ステップアップとか、なんも考えてなかった、、、。当時32歳くらい。新聞記者の経験を生かして広報に仕事できればそれでいい、くらいしか思ってなかったのに気づきました。でも会社にしてみたら、その人のビジョンは聞いてみたいところ。実際に自分も今の会社では面接時に聞いている。でも当時は、そこまで深く考えてなかった。
もう一つ、失敗の原因は過信したこと。採用担当者から面接前にエールをいただいたことで、自分がもう受かった気分になってしまったこと。いままで自然体で挑んできたのに、急に過信してしまった。自然体で挑めずに、少々背伸びをしてしまったかもしれません。準備不足が最後の最後で出てしまったとも言えます。
数日後、予想通り、採用担当者から“お祈りメール”が届きました。
掴みかけていた上場企業の広報職に就ける千載一遇のチャンスを逃したショックは大きく、その後、しばらくは落ち込んでしまいました。同時に、滅多に無い(当時は)求人なので、これで二度と憧れの広報職に就くことはできないのか、、、広報職の夢が経たれたと思ったのも覚えています。
その後に転々としたいくつかの会社で仕事がうまくいかない時、あぁ、あの時、広報で採用されていたら・・・と思うことがしばしばありましたが、それほど悔しい想いをした最終面接の失敗談でした。
このエピソードは15年前のことですが、思い出したきっかけは、つい最近、社内輪読会で読んだ『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』(喜多川泰著)。ここで衝撃的な言葉に出会いました。それは、
「過去は変えられる」
です。「未来」ではなく「過去」です。現在を精一杯生きることで、否定したくなる過去や後悔した日々も肯定できるようになる、つまり過去も変えられるということでした。
幸にも、今は地元企業で憧れだった広報職に就くことができ、充実した日々を過ごすことができています。あの時、上場企業の広報職で不採用になったからこそ、今がある。
あの時、過信に導いてくれた採用担当者、難しい質問をぶつけてくれた最終面接の役員の方、ありがとうございました(本心)。この本を読んで、不採用になってて良かった、と思うことができたので、15年前のエピソードを振り返ってnoteに書いてみたというわけです。
ちなみに『株式会社タイムカプセル社』の中では、こうも言っていました。
「人生はいつでも、何度でも、どこからでもやり直せる」
いつの日か、過去の失敗を笑い飛ばせるように、今を精一杯、生きましょう。
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