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校正に必要なのは謙虚な心。理解する心。
ライター兼編集者として
「校正・校閲」は行ってきたものの
「校正士です」ってちゃんと名乗れたらいいな、
かっこいいな、と密かに思っていた私。
このほどお腹の子から「産休」というプレゼントをもらったので、
この貴重な時間を無駄するもんかと思い、ついに手を出しました。
「校正実務講座」!
まだ序盤なのですが、「校正士とは」「校正とは」という点でかなり勉強になったので、ここに残します。
校正士の役目
校正士といえば「文章を正す人」というイメージが強かった。いや、強すぎた。
でも。
校正士がまずやるべきことは、「“執筆者が言わんとすること”を理解すること」だった。
他人の原稿をチェックしていると、つい「どこを修正すればいいか」にばかり目がいってしまう。
でも、校正における第一歩は、
「この人は何を伝えたいのか」
「どんな意図でこう書いたのか」
を、考え抜くことだった。
「正しい表現に直せばいい」わけではない
「この表現が使われた意図をきちんと理解しよう」という、
この努力を尽くしたうえで校正するから、
良い原稿が出来上がる。
執筆者が“わざと使った”くだけた表現を、
規則通りに直していないだろうか。
あえて「〇〇」と表現されたものを、「一般的な表記は××だから」という理由で
安易に変えてしまっていないだろうか。
これまでの自分の校正を顧みる機会になった。
執筆者の「書く」と、チェックする側の「直す」。
両者のベクトルがバラバラでは、良いものはできない。
まず、同じ方向を向くこと。
「直す」よりも「より良くする」という意識を持ち、
「自分の修正は本当に必要なのか?」と自問自答しながら、一つ一つの表現と向き合う。
これが大事だと気づいた。
AIに校正はできるのか?
AIの校正がいまいちピント来ないのも、
ここかもしれない。
AIが校正した文章を見て
「きれいすぎる」
「元の良さや個性もなくなってしまった」
などと感じるのは、
校正の第一歩とされる「言葉の微妙な意味合い・ニュアンスを細部まで理解する」過程に問題があるような気がしてきた。
(詳しくはわからないけど…)
ちなみに、江戸時代の小説の校正は、一般的に作者自身が行なっていたのだとか。
それを知ると、
校正する側は、第三者的な目を持ちつつも、
ときには執筆者になりきらないといけないのか、と思った。
うーん、難しい。
でも、奥が深くて楽しい。
もっともっと、自分の理解力、そして文章力や表現力、伝える力を伸ばしたいと思いました。
さいごに
この言葉がめちゃくちゃ刺さりました。
原稿を正しく読みこなすことが校正の第一要件であるならば、その点において執筆者にまさる校正者はいない。
肝に銘じておこう…。