子どもの成長のカギ
『うちの子、足速くなりますか?』
そんな言葉を耳にすることがある。
なぜ、“足が速い子”になって欲しいのだろうか?
と考えてみる。
男の子だったら、足が速いと女の子にモテるから?
いやいや、そんなの小学校までか。
足が速いと、プロのスポーツ選手になれるから?
いやいや、競技やポジションを選べば、
足が遅くてもプロ選手になる方法はある。
私は、学生時代に部活(ハンドボール)の関係で、何度か競技の選考会を受けたことがある。
選考会では、競技の評価に加えて、体力測定が行われるものもあった。
その体力測定では、もちろん50m走もあり、
足の速さも評価基準の一つだろう。
でも、「足の速さ」はその選手の持つ特性の一つでしかなく、足が速いからといって、必ず選抜メンバーになれるかというと…
そうではない。
なぜ、子どもに走れるようになって欲しいのか。
なぜ、足が速くなる必要があるのか。
私は、「逃げるため」だと思う。
生きるために
危険なもの、危険な状況、危険な人から
「逃げる」ことができなければならないと思う。
“逃げる”という行為の前には
「ここの場所は危険かもしれない」
「こいつ何だかやばいかも…」
といった、「危険を“感じる”」ことが必要だろう。
【危険】を言葉で教えることは難しい。
“『なんかヤバい…』と感じる力”を育てるには、
どうしたら良いのだろうか。
『逃げろ!!』と子どもに向かって叫んだ時
逃げる方向や逃げ出すタイミングはその子の判断委ねられる。
「うちの子には足が速くなって欲しい」
の言葉の後ろにある親の思いが
『スポーツ選手になって活躍してほしい!』
とかであれば、“平和ボケ”もいいとこだ。
まずは「逃れる身体」になること。
つまりは「生きる身体」にしていくこと。
こっちの方が重要ではないだろうか。
『うちの子、足速くなりますか?』と聞いている親の中に、どのくらいの方が子どもに「生きること」を教えているのだろう。
『うちの子、どうやったら頭良くなりますか?』
も似たようなセリフだ。
「頭が良い」ってなんなんだろう。
お受験という名の戦争で「生き残るため」の頭の良さのことか?
『先生の言うことをちゃんと聞いて!』
「ちゃんと聞く」ってなんなんだろう?
おへその向きが話している大人の方向に向いてなくても、多分「ちゃんと聞こえてる」よ。
逆をいうと、
おもちゃで一生懸命に遊んでいても
YouTubeで動画をみていようとも
子どもは大人が
・どんな言葉を発しているのか
・どんな話をしているのか
を「ちゃんと聞いている」
子どもが「ちゃんと聞いている」かを
「ちゃんと見る」ことができなくなっているのは
大人の方ではないだろうか?
「聞く姿勢」はもちろん大事だが
見た目だけの判断は危険だ。
「聞いてる“ふり”をしている子」もいる。
周りにいる大人がどこまで観察することができるか。
観察できる余裕を持てているか。
見なければならないのは
ネットやSNSに落ちている“情報”などではない。
目の前にいる“その子”を“ちゃんと”見てくれ。
これからの子どもたちが
どのような身体になり
どのような考え方を持ち
どのような感性を持つのか
『子どもが…』とか『子どもに…』とかではない。
私を含む、我々大人の“在り方”が
これからの子どもたちの成長のカギを握っていると思う。
子どもの近くで活動させてもらう身として
自戒の意を込めて…
ここに記しておく。
高田紗妃
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