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奨学金1,000万円返済記- vol.3

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中学生時代

時は進んで中学生時代、筆者はエリート街道をひた走っていました。

試験のたびに学年1位。あだ名で筆者のことを"1位"と呼ぶひとさえいました。当然、周囲は県内トップ高校への進学を期待する声が大きくなります。

先生からは、「将来どんな大学に行くのか楽しみだね」と将来を嘱望されていました。筆者も「きっと自分は東大か京大に行くに違いない」と思っていました。

ところで、筆者にはひとつ身体的な特徴がありました。
眉毛がとんでもなく太い&濃い「ゲジ眉」だったのです。

小学生の時は理髪店に通っていたので、顔剃りサービスのときに整えてもらっていました。しかし、ちょうど中学の入学式の時は、なぜか前回理髪店に通ってから2か月ほど経過した状態で登校していたので2か月間伸ばし放題にした眉毛で教室に登場したのでした。

小学生の時は、眉毛について特に指摘されたことはなかったので気づかなかったですが、どうやら筆者の眉毛はゲジ眉だったようです。

初登校日早々、「お前、眉毛すごいな(笑)」と笑われました。
でも、その時点では、眉毛は2か月伸ばした状態だったので"ちょっと濃いな"という状態でした。

入学して間もなく全校集会が開かれました。いかにも生徒指導部っぽい強面の先生が現れて「まず伝えたいのが、眉毛いじったやついるだろ?この学校では眉毛をいじることは禁止だ。整えることも許さない」と言ってきました。風紀の乱れを気にしてのことだと思います。

筆者は入学早々いじられていたので、「次、髪を切りに行くときに整えてもらうか~」と思っていましたが、どうやらダメとのこと。ということで、筆者はそれ以降、約2年間に渡って忠実に学校の方針を守り、眉毛を伸ばし続けたのでした。

夏季講習

筆者の父親は、元塾講師でした。
なので、筆者の成績を上げようと躍起になっていました。

そう、冒頭で筆者は「試験のたびに学年1位」と記載していましたが、これは父親のスパルタ指導の賜物です。

当時は既に塾講師を辞めて、営業マンでやっていましたが、休みの日は勉強を見てくれていました。無料の家庭教師が週2で指導(平日夜の会話も含めると実質24時間)してくれる感覚です。そりゃ、成績が上がらないわけがありません。

当時は、高校受験に特化して指導しており、県下トップ校に何人も合格させてきたとのことでした。その指導に従い一定の成果を発揮した筆者。しかし、現役を引退してからややブランクはあるのでやはり心配だったのでしょう。中1の終わり頃、父から言われたのは「少し先だけど、最後(中3)の夏は大事だから、有名塾の夏期講習を受けないか」ということでした。

筆者は、嬉しい気持ちと不安な気持ちが半々でした。
当時は、相変わらず学年1位を取り続けていましたが、県内で見た時の自分の順位が分かりませんでした。なので、他の中学の優秀な生徒と肩を並べて競争することに興味を覚えました。

不安な気持ちもありました。当時、筆者の眉毛は相変わらず成長を続けており、それは常軌を逸していました。校内はもちろん、街中で歩くと、ヤンチャっぽい学生に指をさされて笑われるレベルでした。通っている中学であれば、筆者の眉毛の凄まじさは有名だったので通り過ぎた瞬間に笑われることはありませんでしたが、、見ず知らずの中学生だらけの空間に行ったら確実に笑われます。

筆者は不安な気持ちを抱きつつも、「うん」と答えました。

家族旅行

母親がパートに出始めたのは小学校5年生の頃でしたが、その頃から生活はたいして変わりませんでした。いや、父親の稼ぎが少なくなるなか、たいして変わらない生活を維持できたのは母が働きだしたおかげです。(もっとはやく働いてくれていればもう少し楽だったのに・・・)と思いつつも感謝していました。

中1の3月、筆者の家族は小さい頃から数えて何度目か分からない関西地方への旅行に出かけました。そして、これは小5以来、2年ぶりの家族旅行でした。泊まるのはお決まり、大阪駅前の新阪急ホテル。夕食はそこの中で一番安いカフェレストランのメニュー。そして、大阪市内をぶらぶらした後、2日目にこちらも恒例となっていた王子動物園(神戸市)にパンダを見に行くのでした。

筆者は、これが最後の家族旅行になるとは夢にも思わないのでした。

異変

中学2年生になって、学校にも慣れてきた秋ごろ、父親が血相を変えて帰宅しました。

「まずいことになった」

そうぼそっとこぼした後、父親は「○○たち(筆者と妹)、ちょっとあっち行ってて」と告げ、「ちょっといいか」と母親を呼びました。その後、コンコンと話し合っている声が漏れてきました。(・・・これからどうしよう)(・・・当面のお金が、、)

2時間ほど経ったあと、僕らは台所に呼ばれました。(筆者の家では台所が団欒の場だった)

そして、父親がこう口を開きます。
「会社をクビになるかもしれない、、」

僕らは父親がクビになった後のことが想像できませんでした。しかし、どう考えてもまずい状況になりそうだということがなんとなく分かりました。

混乱

それから数日間はお通夜のような雰囲気でした。筆者は中学2年生、妹は小学5年生でした。これから、高校大学・・・と間違いなくお金が掛かります。

いや、そもそも義務教育でもない高校に通えるのだろうか、と思いました。

衝撃の日から数日後、父親がこう言いながら帰ってきました。「どうしようもないお父さんが帰ってきたよ〜〜」もう投げやりになっているみたいでした。

上司と話をして、「何らかの処分が下るだろう」とのことでした。ここで、なぜ父親がクビにならないといけないのか、真相が掴めてきました。父親は配置薬・健康食品の訪問販売の営業マンをしていました。配置薬というのは、家庭に一つ置いておく常備薬のことです。それを個人・法人に対して勧める営業を行っていました。しかし、ノルマが厳しく「架空訪問」というのを行っていたそうです。もう少し具体的に説明すると、この会社には2つのノルマがありました。新規開拓のノルマと既存客への訪問ノルマです。そしてそのノルマが厳しいので、遅くまで働かないと達成できないような目標だったみたいです。おそらくですが、新規開拓のほうのノルマがやばかったので、既存客への訪問ノルマに対して「訪問した」ことにして架空の訪問履歴を登録していたのだと思います。それが何らかの形でバレたのではないかと。

どうやら、父親以外にも3,4人がそのような架空訪問を行っており、全員がリストラ対象になったようでした。父は「不当解雇だ」として弁護士にも相談に行ったみたいですが、それを覆すのは難しいという判断になり、辞めることにしたようでした。

その会社は激務薄給といえど、社員数千人を抱える大企業でした。大企業相手に裁判を起こしたとしても、父親に非があったこともあり覆すのは難しそうという判断だと思います。

父親が無職になるのは決定的でした。さらに母親はパートであり、祖父も年金暮らしだったので一家にとって危機的状況になりました。

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