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Melody à la “SHOWA”

 歌は世につれ 世は歌につれ・・・。名曲と呼ばれる歌は幾多あれど、今でも何かの拍子に聞こえてきた妙なる調べによって当時の記憶を呼びさまされることがある。
 誰もが自分の心の中に記憶として降り積もり蓄積されたそんな歌があるのではないか。今回はそんな中でも、メロディが心の深いところに残っている、私個人のランキング上位の曲を 個人的趣味で引っ張り出してみたい。


〘異邦人〙 久保田早紀

 令和の今私自身 生きるという苦行もそろそろ終盤に差しかかってきたと思えるが、これまで見聞きした女性の中で、美しさにおいて最高レベルだと思える方が2人いる。その双璧のお一人、久保田早紀さん(ちなみにもうお一人は松坂慶子さんである)の代表曲が『異邦人』だ。この曲は かの桑田佳祐さんをして天才的アレンジと言わしめた名作だが、その評価には全く同感である。特にこの曲のイントロについては、他に比類するものがないほどで、歌の本編に至るまでに ここまで見事にアプローチする導入は この曲以降ではついぞ見ていない。久保田早紀さんのビジュアルとご自身の手によるエキゾチックな曲調のマッチングは もはや奇跡とも言える。
 さて長い間彼女のお姿は拝見していないが、私の高校時代の麗しき女神は今も元気にしておられるのだろうか。


〘白いページの中に〙 柴田まゆみ

 この曲は柴田まゆみさんが高校卒業に臨むにあたって作ったものを手直ししたのだという。史上稀にみる美しい旋律を持つこの歌には、終始作者の後悔の思いがしたためられている。出だしから胸が苦しくなるほど情緒たっぷりであることに加え、サビが2段構成をとっていて聴く人の心に波状攻撃を仕掛けてくる。初めて聴いても懐かしく感じる悪魔性を持っている佳曲である。
 柴田さんはこの歌を携えてヤマハ・ポプコン(ポピュラーソングコンテスト)に出場し、『巡恋歌』を歌った長渕剛さんとともに入賞したのだが、シングルデビューが決まっても『この曲は思い出作りのために作っただけだから、今後プロとして活動するつもりはない』と言って発表後早々に一般人に戻ったという。
 しかしこれ程のメロディを創ることのできる才能である。もしシンガーソングライターとしてその後も活動していれば、他にどんな名曲を世に送り出してくれたのだろうと勝手に思いを巡らせている。


〘白い色は恋人の色〙 ベッツイ&クリス

 ベッツイ&クリス のお2人による なんとも高音が耳に残る歌。北山修さんと加藤和彦さんという世紀の大天才2人が手がけた作品である。
 当時の日本の歌謡界には女性デュオがいくつも存在していた。少し考えるだけでもすぐ何組かが思い浮かぶが、女性2人の組合せは 高音を聞かせるのかそうでないのかの2種類に分かれる。前者にはこのベッツイ&クリスをはじめ、シモンズ(『恋人もいないのに』)、ピンクピクルス(円谷幸吉の遺書が元になった『一人の道』。泣ける・・)、たんぽぽ(『嵯峨野さやさや』。あぜ〜くら〜)などがそれぞれファンを獲得して活躍した。ベッツイ&クリスと同じ外国人には、リンリン・ランラン(『恋のインディアン人形』)なんてのもあったなぁ。今でも元気かなぁ。
 さてベッツイ&クリス(ベッツイの『イ』は小さい『ィ』ではない)のお2人。たまたま訪れた日本で、たまたまスカウトされ、たまたま出したシングルが爆発的にヒットした。でも今聴くとなんだかこの歌、悲しいんだよね。故郷から遠く離れた極東の島国で、訳もわからないままにマイクの前に立ったからなのかなぁ? と勝手に考えている私である。


〘街の灯り〙&〘さらば恋人〙

 かのマチャアキによる『マジ路線』の歌。彼はおふざけはするけど歌もすこぶる上手い。標題の2曲はいずれもメロディが大変美しい名曲。歌唱の声ともぴったりでじんわりくる。なんとなくどちらも別れの曲だと思ってたんだけど、歌詞を見ると『街の灯り』の方はそうじゃないんだよね。
 グループ・サウンズの黄金期のザ・スパイダースからソロになった彼の歌がヒットして街にあふれていた頃、我が家は父が会社をクビになったり 母が勤め先の若い男と逃げて帰ってこなかったりという大騒動を繰り広げており、私は大人たちのドタバタに振り回されて1年間に4つの小学校に通った。今でもマチャアキの歌を聴くと 10歳の時の(明日朝 目が覚めたら自分1人になってるんじゃないか?)と心配しながら毎晩寝床についていたことを思い出す。

 現在私が勤める学校で今、一部の生徒たちに課外プログラムとして、リーフレット作りの課題を出している。4,5人で一つのグループを組ませ、全10グループの対抗戦で競わせるのだが、その中に作品のテーマを『昭和歌謡風』としたグループがある。誌面には昭和の雰囲気が散りばめられており、プレゼンを聞きながら 私にはなんだか古臭いとしか思えずに他の審査員と顔を見合わせたものだが、生徒たちには『昭和』というものは、体験を通じた知識ではもちろんなく、キッチュながらお洒落な概念なのだろうかと なんとも不思議な気持ちだった。

 『昭和』は パワー、バイタリティ、死に物狂い といった ある種活動的で力がみなぎった時代だった反面、戦争、貧しさ、空腹、また宿命 などといった切なさや理不尽という 暗く救いがない部分も併せ持っていており、当然どちらもまた偽らざる『昭和』の顔であろう。昭和の終盤に差し掛かる、40~50年頃の高度成長時代 子供だった私が聴いた美しいメロディに、今改めて心動かされるのは年を重ねたということなのだろうか。

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