横の指導 縦の指導
教員が朝礼において生徒たちに熱弁をふるっている。そのクラスの欠席や遅刻が、特に最近多いことについて指導しているのだ。その日も全員で30人の生徒中、朝礼に顔が見えない生徒が7人もいた。その状況を教員が指導する。『このクラスは最近出席状況が悪い! 社会で一番信用を落とすのは遅刻と欠勤だから、みんな このまま卒業したら大変だぞ! 自覚しろ!』みたいな話だ。教員は真剣である。生徒もその教員に注目している。
ところで教員という生き物は 教室の生徒たちを一人一人ではなく 一つの塊だと捉えがちである。前述の教員の指導でいうと『みんな』の部分だ。『みんなが静かにしてくれないから始めるのが遅くなった』とか『学校の決め事に文句を言う前にみんなの姿勢を正す方が先だろ!』みたいに。
残念なのは教室を一つの塊として見ているのは教員だけであり、ほとんどの生徒は自分の『個』を優先、または『個』しか価値がないと思っていることだ。当たり前だが 在籍している30名の生徒のうち その朝23名は『来てる』のである。『来てる』生徒に『来てない』生徒のことをいくらヤイヤイ言ってもどうしようもない。
《横方向の指導、評価》
➡ 全体を一つの塊として、その塊に対
して指導を行う。個人の評価•成績は
集団の中での相対的な個人の順位で
ある。面の指導。集団指導。
評価しやすいため 教員の視点はこう
なりやすい。テストのクラス平均点、
出席率や皆勤者の人数や割合などが
評価の基準となる。
《縦方向の指導、評価》
➡ 集団ではなく 生徒個人個人が指導の
対象である。個人の伸び率や生徒個人
として設定したあるべき姿に、いかに
近づくかが指導の根幹となる。集団は
個の集合体。個の指導。
評価は難しくまた大変で、この視点を
持つ教員は少ない。テスト等における
クラス平均点や出席率、また皆勤者の
人数や割合いより、あくまで誰をどれ
だけ成長させたのか、ということなの
である。
進学塾の宣伝文句はこっちの方だ。
まず学校教育における指導法の考え方として、上記の2パターンが存在し、この2つを念頭に教員は戦場である教室に臨む・・・はずなのだが、力量のない教員は生徒個々の指導(縦の指導)を行う余裕などないから、自分の枠から外れる生徒のことを反乱分子と捉え、別の力でその反乱分子を抑えようとする。
教員自身の人としての幅から発信される指導ならパワーもあるのだが、人間として未成熟な教員の場合、生徒を脅す武器を使って不足部分を補填しようとしがちだ。しかしその武器には品がない。『私のいうことを聞かないと 内申に響く』に始まり、『補講・補習を受けることになる』、『親を呼び出す』、『職員会議にかける』、『留年・卒業延期になる』などなど。これらは暴力とは言えまいか。脅しによって統制を図っても、一時的なものであり指導効果に乏しい。
我が校においても一応処分の仕組みはあるが、その力に訴えて生徒たちの進む方向を一定方向に揃えようとするのは、教育ではなくもはや調教である。