表現者ではない自分を表現したいのに
表現者としての自分は、ある程度コンディションの良い時の自分だ。人間としてのクオリティをある程度保てている状態。
(noteを書く自分を表現者と言ってしまうのは、個人的にはこっ恥ずかしいのだが、ひとまずは表現者と呼ぼう。
何かを表現したくて始めたんだから、ここで嘘をついても仕方ない。)
例えば、朝起きたら最低限の家事ができる。パソコンに向かうことができる。文章を考えることができる。タイピングができる。だからnoteに投稿できる。
でも、私が表現したいのは、そんな自分ではないんです。
気持ちよく目覚められないことの辛さ。
最低限の家事もこなせない罪悪感。
仕事へのモヤモヤと虚しさ。
文章を推敲するのは苦手だ。
本当は他人に分かってもらうための言葉じゃなく、自分のためだけの言葉を紡ぎたい。
面倒なことには目をつぶりたいのに、賢く見られたい。
現実から目を背けたくないのに、夢を見ていたい。
世間の汚いところも汚くないところも、目障りで耳障りだ。
汚いものを見たくない。疲れているから。
綺麗なものを見たくない。惨めになるから。
ずっと布団の中にこもって、何も知らずに寝ていたい。
そういうことを表現したい。
全く整っていない自分を、全く整っていない自分のために、表現したい。
歪な自分を邪魔だと思うのに、歪な自分を見失いたくないのだ。
でも、noteを書く時の自分はコンディションが良くて、ある程度整っているし、より自分を整えようとしてしまっている。
例えば「1日1目標」という記事は、習慣化が苦手なので訓練をしたくて書いたものだが、これは人間としてのクオリティを保とうとする行いだ。
1日1つ小さな目標を定めて、それを達成できたかを記録する。
読書、散歩、筋トレ……今のところ、主な目標は生活改善だ。
読書ができるだけの思考力があり、散歩をするだけの気力があり、筋トレをするだけの体力がある私は、表現者にならなくても楽しくやっていける。
読書も散歩も筋トレもできない程に塞ぎ込んでいる、そんな自分を表現したいのに。
そんな自分のために表現したいのに。