私は努力をしたことがない
私は、今まで努力をしたことがない。
たとえば、みんなは何を努力したとよく言うだろう。
受験、部活動あたりだろうか。
私は受験は毎回カタチだけ、という気持ちだった。中学生の頃、塾の先生に出された宿題だけをやっていた。それだけだった。大学受験では、私は体験授業型のAOだったので、特になにも対策はしていなかった。運はいいのだ。
部活動では、中高6年間吹奏楽部でトランペットを吹いていた。私の家計は貧乏で自分のトランペットを買ってもらえなかった。いつもピカピカの自分だけの楽器を持っている子が羨ましかった。そして、私は常に自信がない。だから、どうせ私はトップになんかなれない。そう思っていたら、気づいたら後輩に抜かされていた。後輩は私なんかよりも努力家で、そりゃそうだよな、と思っていた。
高校では美術コースにも入っていたので、デッサンの授業があった。デッサンはどうも私は下手くそで、いつも頭を抱えていた。嫌すぎてそのまま座って昼寝をしていたこともある(石膏が置いてある場所ってなんか日が照ってポカポカするんだよね)。昔から絵だけは大好きで、下手でも毎日楽しく描けていたのに、ここで私はやっぱり絵が下手なんだ、上手くないと、こんな惨めな思いをしなければいけないんだと打ちのめされた。しかし、私は吹奏楽部と美術コースの課題で手いっぱいで、こなすので精一杯だったから、ここでもまた、上手く努力ができなかった。
大学に入って、デザインにちゃんと興味を持ち始めたのは3年生の頃から。1.2年生の頃は、なんだかフラフラしていたように思える。3年生になってデザイナーの図録や、尊敬するコピーライターの詩集を見るようになった。でも、制作ではいつもつまらないものを作ってしまう。私は自分の作品に満足したことが一度もない。みんなはインプットをしてそれを上手く制作に使って、努力して、こだわり抜くために寝るのを惜しんで、辛い夜を何度も越してきたんだ。私だけ、楽してる。作ったものを褒められても、あまり嬉しくはなれない。だって、こんなの、楽して一日で作れるクオリティーだもん。みんなすぐ作れるよ。私なんて、作ったらさっさと提出して、あとはお昼寝しちゃうんだもん。こんな私が努力してるとは到底思えない。
でもさ、努力って自分で決めるもの?
たとえば、他の誰かが「あの人努力してるよね」って言うと、本人がそう思ってなくてもそれは“努力している人”と定義付けられるのだろうか。私は、努力しているように見えているだろうか。1番はきっと、人に聞かなくとも「私は頑張ってるな」と自分を褒めてあげられることなんだろうけど、今の私にはまだちょっと難しいみたいです。
気にしいな性格、やっかいだな。
子どもの頃の絵の方がイキイキしてるよ。戻りたい。
だから、いったんパソコンを閉じて、絵の具とか、えんぴつとか、そういったところからまたリスタートしたい。
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