僕の夢は駄菓子屋さん
僕の夢は駄菓子屋さん
「俺将来駄菓子屋さんになりたいんだよね」
「その夢は絶対に叶えたた方がいいよ!」
不意に僕は、平日預かっている小学生の子どもに夢を言った時の返事であった。
不登校支援と言わないと、人に伝わらない。それが嫌だった。
学校行っている、行っていない、大人、子どもとか。
そんな事に関係なしに場作りがしたかった。
その結果駄菓子屋になった。お手伝いで頑張った10円で、駄菓子屋に来ることができる。
夢は口にしたほうがいいのかなぁと思い、noteを書いた。
そしたらまさかの反響であった!
俗に言う不登校支援を始めて半年、3学期から学校に行き始めたり、4月から支援級で学校に行くようになったりと、良い意味で来る子が少なくなった。
子どもに対して「ここがあなたの居場所です」なんて、そんな言葉も嫌だ。居場所と定義するのは「こちら」ではなく「相手」である訳で。
だから、エゴかもしれないが、人がコミュニティという物から逸脱して、人が流動的になれるように、自分の活動を「たまリバ」という名前にした。
「人がたまり、リバティ(自由)に過ごす」という意味を込めている。
この考えを自分なりに考え抜いた結果、駄菓子屋にたどりついた。
別に学校がつらいとか理由はいらない、自分が選択できる逃げ場があればいい。そう思った結果であった。
夢を言って起きた変化
noteの記事を見て、長野県から、「うちの敷地に古民家があるからやりなよ」なんて連絡がきたりもした。
それ以上に大きな変化だったのは、子どもたちであった。
まず、場所もないのに設計図を書き始めた。
1人が書いた設計図に、他の子が「これもいいね」と書き出していく。
お酒を置けば、駄菓子をおつまみとして来る可能性があると見込んだようだ。
10円の物を売っても利益が2円の駄菓子屋。
お酒など単価の高いものを売ろうとする考えになったのはマジですごい。
設計図を書いているうちに、
「そうだ、部屋があまっているんだから、もう作ればいいのか!」
正に、灯台下暗し。
「ゆーや君(本名)掃除しないと!」と子どもに怒られ掃除を始めた。
ほぼ物置きだった部屋がどんどん片付く。
なんか文化祭みたいだなぁ。
3人の子どもと日程を調整して、うまい棒が30本からしか売っていない横浜にある駄菓子とおもちゃの卸売の業者にいくことになった。
駄菓子のコストコ 状態である。
子どもの記憶に植え付けるインパクトである。
僕もこんなお菓子を購入したことはない。
入れろ入れろ〜〜!と入れていたら1万5000円分に。
見たことのないビニール袋4つぶんになった。
開店準備
家に帰宅して、早々、袋から全部出す笑。
どんどん出てくる…。
子どもに2000円を渡して店内のレイアウトを考えてもらった。
100均でお菓子を入れるケースを購入。
って、おいおい!来た子どもが遊びやすいように、「本」「文房具」「昔あそび」など駄菓子以外の工夫をしているではないか!
優しっ!っていうか、助かります🙇♂️
自分がお店を作る側だからこそ、相手に対して思いやりがあるし、もとにもどしてもらうことで、こちらの負担も減らすように促してくれる優しさ。
ほぼ開店した
箱買いなので、単価を出して、少しは利益が出るように価格を設定した。
ここまで、僕は何一つ言っていない。
全て子どもたちが率先してやってくれた。
僕は23歳だけど、「懐かしい」と言えるものがない。
それくらい駄菓子屋さんがない。
だからこど、子どもたちから懐かしいというワードは出ない笑。
糸引き飴って何?って感じだ。
けど「面白い」のである。なぜなら、知らないから!
懐かしさを知らないけど、作るのが楽しいから!
箱の調子もいい感じで寛げる空間になってきた。
俺たちの駄菓子屋ができたぞ〜!
最後は買い物からレイアウトまで考えてくれた子どもたちに駄菓子をプレゼント。金額を指定して、計算をして持って帰る駄菓子を真剣に悩んでいた。
子どもたちは、駄菓子屋を通じて、企画してレイアウトして、計算して遊んで帰っていくという…。
なんだこの現象は!
君の夢は駄菓子屋さん
100均で買い物をしている帰りに、1人の子が僕にこう言った。
「今日、俺の夢叶ったよ」
この子は、僕に「その夢は絶対に叶えた方がいいよ!」と言ってくれた子である。
そうか、僕の夢は君の夢でもあったのか。
続けて彼は、
「俺、将来駄菓子屋さんしたいんだよね〜。そこにSwitchとか置いてさ!それで…」
君が駄菓子屋さんを始めるのはいつだろう。
でも1つ言えることは、
その夢は絶対に叶えた方がいいよ。
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