炊け損ないのご飯を博多弁で『ごっちん』という
自宅で炊飯する際には、白米2合半&雑穀半合で炊いています。まず先に白米を研いでから2合半分の水を入れ、半合の雑穀を入れたら残りの水を追加するのですが、その水を入れ忘れました…。
どうです…この艶のない炊きたてご飯。
蓋を開けた瞬間の悲しみとともに、ふと浮かんだのが『ごっちん』という言葉でした。
『ごっちん』とは、博多弁で芯の残った炊け損ないのご飯のことを言います。今回のご飯は完璧なごっちんではなく、好みの固めなご飯でしたけど(強がりじゃないもん)。最近は実家の両親とほぼ毎日連絡を取り合っていることもあり、脳内モードが福岡に寄ってたんでしょうね…。
しばらく地元を離れていると、ネイティブの博多弁を上手に使えなくなります。聞き返されるのが面倒なのと、様々な地方の方と仕事をするため、方言が移ってしまって余計に変なイントネーションになるからです。なるほど、テレビで福岡出身の芸能人が胡散臭い博多弁を喋っているのがやっと理解できました。
地元に帰って甥っ子と会話すると、小さいのに博多弁をバリバリ喋るのがおかしくて可愛くて仕方ありません。元気しとるかな。
博多弁って家庭内だけでは身に付かないと思っています。特に古い言葉は。「ありがとう」が“だんだん”だったり、「な~にカッコつけてんだ」が“つや~に”とか、情緒があって後世に残したくなりますね。
日本語なのに訳がついている博多弁マンガ『博多っ子純情』で学んだ言葉も多かったなぁ。
このマンガは父が集めていて、主人公·郷六平が中学から高校・浪人・大学を経て、人形師になることを決意するまでの人生を描いた青春巨編。芸者さんとの筆下ろしや幼なじみの小柳ルイ子との性交に至るまで描写されているにも関わらず、両親は幼い私がこのマンガを手にすることを止めるでもなく、自由に読ませてくれました。
今思うと、これが後藤家なりの性教育だったのかもしれません。
そうそう。初めて地元を離れて愛知で教員生活を始めたとき、教え子が「さるぼぼ知ってる?」と聞いてきました。
さるぼぼはいわゆるお守りなんですが、じつは“ぼぼ”って博多弁で女性器のことを指すんですよね。
なので、屈託なく聞いてくることに動揺を隠せませんでした。その場で一人だけ脳内にエロいことが充満していたのが恥ずかしかったな…。
炊き損ないのご飯から性教育にまで話が及ぶとは思いもしませんでしたが、話題ってこんなに広げられるんだなと自分に感心してしまいました。
言い忘れてました…私のあだ名は『ごっちん』です。