"しようがない"なんてあり得ない
これは私の人生訓である
これはあくまで、
自分がこれまで運が良かっただけかもしれない
そしてたまたま心が強かっただけかもしれない
面倒に立ち向かえたからかもしれない
ここに書き残すのは、
この言葉を使う誰かを攻撃するためじゃなく、
未来でこの言葉を使いたくなる自分を鼓舞するためで、
苦し紛れにこの言葉で逃げようとする誰かを鼓舞するかもしれないからである
"仕様がない、仕方がない"は
日常場面では、
「その事象が本人の精一杯のなすところでは
もうどうすることもできないために発せられる言葉」
として使われる
要は限界だ。
向き合う心が、処理する頭が、達成する見通しが
全く立たないので"しょうがない"のだ
なぜこんな状況に陥るかというと、
先を見据えていないからだ。
後先考えずに、今を快適に満足にを優先すると、
急に発生する変化に対する、制限時間が短くなる
「いつか受験勉強しなきゃ」
「いつか就活準備しなきゃ」
「いつか仕事しなきゃ」
そのいつかは必ずやってくる。
早めに考えておくにこしたことはない。
ただ考えるときに何か不都合な縛りがかかるのであれば、
考えないように考えなければいけない。
「いつか結婚したい」
「いつか子どもが欲しい」
「いつか起業したい」
「いつか世界一周がしたい」
そのいつかは、のほほんと過ごしても多分やってこない
もし本当にしたいのであれば、真面目に考え、
未来の自分のスケジュールをおさえ、
着実に実行する
そうしなければ、自由気ままに生きて
"なんとなくしたいと思ったこと"ができずに人生は終わる
それで良いなら良いと思う
なんとなくしたいなんて思わなければ良い
きっと"なんとなくしたいと思ったこと"の
現実可能性がほぼほぼゼロに近づいたとき、
人は「しょうがなかった」
という言葉を使うんだと思う
人の可能性は無限大だ
でもそれは意志あるところがベースである
今のどう過ごしても着実に流れゆく時間と、
生きていればきたる未来の自分と
共創していく感覚で、
自分だけの充実した人生をまず規定してみようじゃないか
そこについてとことん考えたならば、
気づくはずだ
「しょうがない」
なんてことはこの世にほとんどないと
アメコミを見ててそんなことを考えた28歳でした