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『君と夏が、鉄塔の上』読書感想文


「小説には無駄な描写などない。」といういつしか言われた国語の先生の言葉を、読み終えてすぐに思い出した。

例えば、最初に出てくるプロペラ付きの改造自転車は、終盤の帆月を助ける場面で送電線を伝い、創造的な世界との懸け橋のような役割をしているように思える。また、木島の「忘れられた時、街は死ぬ。」という表現と、神様の行進として古くなったものを川に流すという表現は、”記憶”と繋がる。

この他にも沢山あるのだが、このように物語の最初の方では役割が分からなくても、最終的には全部が繋がっている、ということが分かりやすく描かれていて、「無駄のない」という言葉がぴったりな小説であると感じた。


〇現実世界⇔創造的な世界


読み進めていくうちに、全体的に現実と創造が入り混じっているような感覚に陥っていった。そう感じた理由として、

・明比古の存在
・帆月の能力と比奈山の霊感

の二つが挙げられる。

・明比古について


最初、同じクラスメイトという言葉を素直に受け取り、同じ”人間”として認識していた。しかし、”陰影の少ない白い肌は人間味がない”という表現と”お面の下から見える肌は陶器のように真っ白で、僕はなぜだか既視感を覚えた”という表現から、明比古は神様、もしくは神様の使いであることに気が付いた。また、椚彦の”彦”、明比古の”比古”というのは主に男神に用いられる名前である、ということからも推測できる。

明比古が、鉄塔に詳しい伊達に「いつ鉄塔は完成するかわかるか?」と問う場面がある。私たちが今いる世界を人間界と言うとすれば、のちに出てくる神様の行進のために必要な情報を人間界に来て仕入れていることになる。

・帆月と比奈山の能力

プラシーボ効果というものがある。プラシーボ効果とは、薬の形をしているだけの何の効果もないものを処方されているが、患者側は薬だと信じているため、飲むことで効果が得られる現象のことである。

帆月の能力は頭の中の空想世界であり、テレパシーではないかと言われていた。また、比奈山の霊感は妄想ではないか、と比奈山自身が言っている。これは、プラシーボ効果のように思い込みが現実になるような体験をしていたのではないかと考えた。

以上の二つの事から、一見現実とはかけ離れているように思えるが、安いお肉が高級レストランで提供されても分からないというものと同じように、なぜか身近に感じた。

私は大学三年生であり、就活を始めている。いつインターンが入るか分からないため、むやみに予定を詰める事ができない。なかなかインターンが決まらず選考結果を待つ日々であり、コロナ禍のということもあり、バイト以外は外に出ることもなくゲームをしているばかりで、一か月の3/4は家にいる状態が何か月も続いている。

その中で、この本を読んだことをきっかけに時間について考えさせられた。「時は金なり」というように、少しも無駄な時間などないのである。

学生時代に青春しておけばよかった、という声を社会人の方から聞く機会が多いが、私たちの普段の生活の中にも物語や青春が沢山転がっているのかもしれない。プラシーボ効果のように、信じることは簡単にできる。外出が憚られる今、つまらないと思う時間を、自分の好きなように操って、自分だけの空想世界を楽しむことで、充実した良い夏の思い出にすることもできるかもしれない。

新しい記憶が重なって行き古い記憶はなくなっていくことは、帆月の経験からの悲しいことでもあり、また未来へのステップでもあると考える。ITや医療などの技術の進歩からも分かるように、目まぐるしく社会は変化を進めている。しかし、それらは遠い時代の先駆者たちからの技術を基盤としなければ、得られなかった進歩である。

記憶というのは消えてしまう儚いものであるように感じるが、実は未来の私たちを形成する重要な財産として蓄積されていくものではないか、と帆月が引っ越してしまった後の伊達と比奈山との繋がりから感じた。

今まで気にかけていなかった鉄塔の存在だが、この本のお陰で鉄塔を見る度にこの物語を思い出す。今後どうなるか私には分からないが、思い出す度に一秒一秒を大切に過ごしていこうと思う。

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