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自己紹介

初めまして。まるです。

以前にも自己紹介は書いたことがあるのですが、改めて書いてみようと思います。
(2024.12.19追記)

私のことについて

2001年生まれの23歳です。
大学在学中に双極性障害を発症しました。

今年の春に大学を卒業し、夜間の専門学校の精神保健福祉士科に入学しました。ですが、体調を崩して入学1週間で休学(退学)しました。その後8月に新卒で就労移行支援の生活支援員として就職しました。ですがこちらも、入社2ヶ月で退職しました。詳しいお話は後ほど書きます。

趣味はピアノやギターを弾くこと、散歩をすること、読書です。

これまでの人生について

コロナ禍の大学生活

高校卒業後、大学に進学し、1人暮らしを始めました。ただ入学した年がちょうど新型コロナウイルスが流行し始めた年で、入学式は中止、授業もすべてオンラインでした。私が入学した大学は、地元からかなり離れていたため、知り合いや高校の同期も1人もいませんでした。最初はとにかく寂しく、毎晩泣いていた記憶があります。

2年生まではほぼオンライン授業でしたが、3年生になって少しずつキャンパスに通えるようになり、そこで初めてゼミの同期という友達ができました。結局卒業するまで友達はゼミの人くらいしかいませんでした。

不調に陥った大学生後半

大学3年の秋に、身体的にも精神的にもかなり不調になった時期がありました。その時期はちょうど就活を始めたくらいで、バイトも掛け持ちしてとにかく自分を追い込んでいました。それに加え、完璧主義や神経質というもともとの私の気質が影響し、精神的に参ってしまいました。そんな自分が許せず、頑張ることだけを考えていた私ですが、とうとう限界を迎え、両親やゼミの先生に勧められて大学の保健センターに行くことに。そこで「完全にうつだね」と言われ、近くの精神科を紹介されました。結局、紹介された精神科でも”うつ病”と診断され、しばらく休むことになりました。とは言っても休学はせず、ゼミの先生の配慮を受けながら何とか単位を取ることができました。

うつ病の再発、そして入院

大学4年になって少しずつ調子が良くなり、精神科に行くのを辞めてしまいました。完全に元の生活に戻ったと思い、服薬も自己判断で勝手に中止してしまいました。ただそれが悪かったのか、秋になって再び調子が悪くなりました。しかも前回よりもはるかに不調で、自分では抑えきれないくらいの希死念慮と自殺衝動がありました。すぐに前に通っていた精神科を受診。1人にさせるのは危険ということで、入院することになりました。

1か月半ほど閉鎖病棟に入院しました。そこで診断がうつ病から双極性障害に変わり、薬も調整してもらいました。入院していたのは冬で、クリスマスもお正月も病院で過ごしました。まさか病院で年越しするとは思ってもみませんでした。制限の多い入院生活でしたが、薬の調整もあってか、少しずつ安定してきて、無事退院することができました。

新たな夢を持つ

入院中に私は自分の知らない世界を知りました。そしてたくさんの人と関わりました。主治医、看護師さん、ケアスタッフさん、PSWさん、患者さん。病棟で過ごす中で、私は「自分と同じように精神疾患で困っている人のサポートがしたい」と考えるようになりました。もともと誰かのために何かすることが好きな私は、「これこそ私ができることなんじゃないか。当事者経験のある私なら、寄り添ったサポートができる」と感じました。そして私の夢は、「精神保健福祉士になって、精神疾患で生活支援や社会復帰のサポートをする」というものになりました。

大学卒業後、専門学校へ

精神保健福祉士という夢を持った私は、大学卒業後に専門学校に進学しました。夜間1年制の学校で、来年2月の国家試験に向けて勉強を頑張る、、予定でした。私は入学直前から若干のうつ状態に入っており、かなり不安を抱えて入学しました。ただ環境の変化に弱いのか、不安が大きかったのか、授業中にパニックになって教室にいることができなくなりました。最初の方は何とか耐えようとしていましたが、全く授業に集中できず、冷や汗をかき、涙が止まらなくなり…。教室を飛び出して頓服を飲んでも落ち着かないことが続きました。結局、入学して1週間で休学しました。これが何を意味するかというと、もう来年の国家試験は受けられないということです。欠席回数が〇回以上は実習にも行けない、そして試験も受けられないというのが決まっているのですが、私はそれに引っかかることになりました。夢の実現のために入学した学校を、退学することになりました。

実家療養

主治医に、「しばらく実家に帰って休みなさい」と言われ、退学した私は実家に強制送還されました。頑張りたくても頑張れない自分が情けなく、自己嫌悪でいっぱいで、涙が止まりませんでした。「もう何もできない、すべてを失った、もう…終わった…」そう思っていました。でも実家には家族がいて、励ましの言葉をかけるとかではなく、ただ見守ってくれていました。
しばらくして、「このままじゃダメ。働かないと」と、就職して自立しなければいけないという焦りにも似た気持ちが出てきて、就活に向けて動き出すフェーズに入っていきました。

難航した就活、そして内定

就活を始めたものの、すでに7月。来年の新卒枠はほぼほぼ終わっていました。中途入社で今年度の採用を探すも、既卒で資格も何もなく、3月に大学を卒業してから4か月間何もしていない人物を採ってくれるのか…望み薄でした。就活はかなり難航しました。
そんな私の希望業種は、就労移行支援の支援員でした。もともと精神保健福祉士を目指しており、精神疾患で困っている人のサポートがしたいという思いがあったことと、働くことでやりがいや安心感を得られるお手伝いをしたいという思いがあったことから、就労移行支援で働くことを志すようになりました。
ただ、志望動機で私の経験があったから支援員になりたいという旨を話すと、やはり採用側からすると懸念点が残るらしく、なかなか選考に進むことができませんでした。そんな中、ある企業の面談を受け、私の過去の経験や、そこからなぜ就労移行で働きたいのかをしっかりと聞いてくださる方に出会い、なんと最終面接に進むことができました。結果は、内定でした。私のことを受け止めたうえで、「過去に体調を崩したとか関係ない、その人が何を思ってどう行動しようとしているかが大事」と採用してくださいました。

就労移行支援の生活支援員として

そして8月中旬から、就労移行支援の生活支援員として働き始めました。入社前の面談では、体調の懸念点や、配慮してほしことなどをお話しする機会を設けてくださいました。いろいろと不安要素はありつつも、なんとか週5フルタイムで出勤できていました。
仕事内容は、利用者さんの生活支援をメインに、自己理解やセルフケアのサポート、見学や面談対応、就活の相談業務などです。福祉の領域は未経験で分からないことも多くありましたが、他の職員に助けてもらいながらなんとかやっていました。

うつと不安障害で退職

ですが会社が実はブラック気味で、私も調子を崩していきました。研修体制が驚くほど整っていなかったり、職員が急に何人も辞めたりするような職場でした。9月に入って鬱転したりパニックになったりして、10月末になって限界を迎え、メンタルクリニックで診断書を書いてもらいました。そして結局入社して2ヶ月ちょっとの11月半ばで退職することになりました。
調子を崩した理由ですが、たぶん1人で抱え込みすぎたからだと思います。辞めるときに職場の人にもそう言われました。何でもかんでも1人で頑張ろうとしすぎて、周りを頼れない、ヘルプを出せないというのが、調子を崩した要因のひとつだと思います。

再び実家に帰って療養

退職した私は再び実家に帰りました。1人でいると不安で仕方がなくて、やってはいけないことをしそうになったり良くないことを考えたりしてしまうからです。実家に帰ってもなかなかゆっくり休めず、不安や焦燥感、無気力に悩まされていますが、まだ1人でいるよりはマシだと思っています。

今後について

これからは就職に向けて準備をしようと思っています。まだ動き始めようとしている段階ですが、少しずつ前進していきたいです。

最後に

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

これからもたくさんの壁にぶつかるかとは思いますが、その一つ一つが、今の私、今後の私を作っていくのだと思って、一歩ずつ進もうと思います。

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