【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第11話 捲土重来編(4)
【もう一つの戦い】
全日本王者になってから1ヶ月後、偶然にも石垣島で、ある大イベントが開催される事となった。
日本で知らない人は居ないであろう、あのモンスター番組「NHKのど自慢」の石垣島大会である。
一緒に申し込みをしていたフリムンと次女、そして従兄弟のS太郎もハガキ審査を通過し、運よく予選に駒を進めていた。
空手に続き、今度は「のど自慢大会」に挑戦する事となったフリムン。
次女や従兄弟はガチで歌唱力があったが、フリムンにはその才が足りず、ここは違うポジションで攻めるしかないと策を練って戦う事に。
こうしてフリムンが編み出した愚策が、これである。
勿論、歌うは孫の命名の要因となった、あの甲斐バンドの「杏奈」であった。
実はこの大会、カラオケのように字幕付きのテレビ画面など無く、歌詞は各々完コピしなければならなかった。
それを聞いたフリムンは、時間を見つけては「独りカラオケ」に講じ、歌詞の暗記に努めた。
努力の権化フリムンは、ここでも手を抜くことなく全力を注いだ。
こうして迎えた予選当日。
娘や従兄弟と一緒に石垣市民会館大ホールへと向かったフリムン。本業の空手よりも緊張しまくっていたのは言うまでもない。
抜群の歌唱力でユーモアもある従兄弟のS太郎である。
少なくとも予選は通過するだろうと安心して聞くことができた。
そして迎えたフリムンの出番。
完全に頭に入れてあったはずの歌詞が飛びそうなほどの緊張の中、甲斐バンドの「杏奈」の前奏が始まった。
もちろん、NHKなので生バンドである。
小刻みに震える足を踏ん張り、歌詞も間違える事なくサビの手前まで歌いきった。
あとはサビの「アンナ~~~~♪」を熱唱するだけだ。
深く息を吸い込み、杏奈の「ア」の部分を吐きだそうとしたその刹那であった。
司会者から発せられた「ハイッありがとうございました~」という間延びした帰れコールが耳に飛び込んできたのだ。
あんなに練習したサビを歌わせてもらえず、スタッフに誘導され舞台を下りるよう促されたフリムン。
これは良くない時のパターンだ。
その瞬間、思わずフリムンはこんな表情に陥っていた。
結局、予選を通過したのは娘の真美だけ。あのS太郎も本戦出場は叶わず、二人とも応援に回る事となった。
【頂上決戦】
当時、恩納村にある「琉球村」にて歌唱力に磨きを掛けていた次女。
優勝候補の筆頭であるのは間違いなかったが、今回の石垣島大会に限って、何故か猛者がウヨウヨいた。
そんな不安と期待の入り混じる中、琉装に身を包んだ娘の出番が始まるや否や、フリムンは大声でこう叫んだ。
「マーーーーーーミーーーーーーー」
そのままであった(◞‸◟)
そんな捻りも何もない父親の声援を遮るように、次女が歌ったのは「涙そうそう」。フリムンの後輩BEGINの曲で、夏川りみの紅白出場曲であった。
ちなみにこの時のゲストは、地元の星で次女の憧れのスター「夏川りみ」本人。
その本人を前に緊張したのか、少し音を外したようにも聞こえたが(イヤお前が偉そうに言うな)、何とか最後まで歌いきった次女。
父親と同じく全国の舞台で活躍する娘。
違うジャンルながら、親子揃って好きな事で飯を食っていけるのは本当に幸せな事である。
【三度目の山形】
全日本王者になってから半年後、山形で行われる「特別昇段審査」にて四段を受審するよう指令を受けたフリムン。
一度目は東北極真カップでの「特別演武」
二度目は同じく東北極真カップでの「現役復帰戦」
そして今回は四段に向けての「特別昇段審査会」
曲がりなりにも全日本王者である。
下手な姿は見せられないと、徹底的に審査に向け日々精進を繰り返した。
特に苦手な「型」は徹底的に行った。
しかし補強に関しては、日頃からウエイト・トレーニングを毎日のように行っていたので疎かにしてしまっていた。
それが、本番で思いも寄らぬアクシデントに繋がる事など露程も知らずに。
こうして山形に着いたフリムンは、先ず気温の低さに度肝を抜かれた。
5月と言えば、石垣島では既に夏の到来を感じるどころか もはや灼熱地獄。当然、半袖短パンで生活をしているので、その感覚で山形に来てしまった。
しかし、着いた時の気温はまさかの15℃以下。
ありえない…石垣島では冬でも中々ここまで下がる事はなく、何なら魚が仮死状態に陥って水面に浮かぶ温度に近い(写真参照)
ちなみに今回は世界合宿も兼ねていたため、海外からの受審者が大半を占め、約3分の2が外国人であった。
前日のレセプションでも、その人数と体躯(たいく)に圧倒され、翌日の審査への不安は募るばかり。
そして迎えた審査当日。
ホテルのロビーで屯する海外勢の迫力にビビりながら、国内の受審者と何気にしていた会話でフリムンは赤っ恥を掻く事となる。
「いや~昨日は朝早くに飛行機を乗り継いで山形に着いたんだけど、ホテルに到着したのは20時過ぎでホント疲れましたわ♡」
すると、その会話を聞いていた他の受審者の方が返す刀で海外勢を指差し、「フリムン先生、あの方々は2日掛けて日本に来たんですよ♡」
それを聞いたフリムンは顔を真っ赤にし、「いやそうでした…お恥ずかしい…穴があったら入りたいっす」と、改めて海外勢の意識の高さに胸を打たれたのであった。
それから審査会場へ向けたバスに乗り込み、到着まで暫し山形観光。
しかし、これから始まる地獄の審査会を思うと、その美しい光景も違って見えるから不思議である。
結局、無言で武道場に着いた面々は空手着に着替え、これから始まる地獄に備えるのであった。
次回予告
思わぬ寒さに打ち震えるフリムン!
ここからが本当の地獄…!?
乞うご期待!
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この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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