ハウスクリーニング|Aさんの家
ハウスクリーニング駆け出しの頃のおはなしです。掃除をお願いしてくる人にはさまざまな事情があり、掃除は大変だったけど、人生いろいろでおもしろいなあ、良い経験をしたなあと今でも思っています。
ハウスクリーニングをはじめた頃の話はこの記事に書いています。↓
Aさんの家はザ・金持ちエリアにある3階建てのお屋敷でした。
白髪まじりで気品が漂う紳士Aさんは自分のデスクの上を忙しそうに片付けながら、私に言った。
「先週フランスに行くことが決まりました。本当に急な話で、僕も困惑しています。僕たち(彼の奥さま)は今日この家から引っ越し、今晩はホテルに泊まり明日の朝に発ちます。ですから、今日1日で掃除をすべて終えてほしいのです」
すでに奥さまは先にホテルに行ってしまったようだった。
早朝だったが、大きなトラックが家の前に止まり、引っ越し業者も到着。引っ越し業者の服をまとった男性たちが玄関先からどやどやと騒がしく家の中へはいってきた。
引っ越し業者の人たちはやるべきことが分かっているようで、3階にみんな上がっていった。
少し静かになったところで、Aさんは続けた。
「家のなかに残っているものは大型家具で、だいたいのものは片付いています。引っ越し業者の人たちが3階から家具を順に運び出します。あなたは、家具がなくなった部屋からクリーニングをはじめてください」
引っ越し業者のペースに合わせないといけないのか。なんか嫌な予感がする、と私は思った。
彼はまた話を続けた。
「それと、申し訳ないのですが、この家の中のバスルームを除いて、電球はすべて取り除いてあります。つまり、日が暮れると、真っ暗で見えなくなります。暗くなるまえに仕事を終えてください」
いやいや、ちょっと待って。普通、電球残しておくでしょ。それ、おかしいでしょ?と言いたいのを我慢して、私は分かりましたと返事をした。
そしてAさんは私にハウスクリーニング代を渡して、ホテルに向かった。
お屋敷に残っているのは、引っ越し業者の4人と私。
引っ越し業者が家具を運び出したら、掃除機、壁拭き、モップがけをする。それを繰り返した。
部屋数もある。大きな螺旋階段は家具を運び終わったあと、最後にやらなくちゃいけない。トイレの掃除もある。
しかも日が暮れる前に終わらせなくちゃいけない。こんな大きな屋敷に暗闇のなか、ひとり残されたくない。遅くても夕方の5時には完璧に終わらせたい。
自分はめちゃくちゃ焦っているのに、引っ越し業者の4人ときたら、家具運び出してはお茶タイム、また家具運んで、お茶タイム。
仕事中、どんだけお茶飲んでるんだよ!とつっこみたいほど、ティータイムを繰り返した。
外はだんだん薄暗くなり、お屋敷の中も同じく暗くなってきた。私の心臓がばくばくし始める。手すりをふく私の手も震えてきている。
おばけは平気でも、あかりのないお屋敷にひとり残されるのは絶対にごめんだ。
残りはトイレのみ。そのトイレは引っ越し業者の4人が使っていたから、最後に残していた。
引っ越し業者の4人が私に声をかける。
「俺たち、帰るね。お疲れー」
ぶるぶるが止まらない。トイレのあかりは点いているが、それ以外はもう薄暗い、というより薄暗いを通り越している。
もう勘弁してほしい。許してほしい。私は最後のトイレを完璧に掃除できなかった。最後の全部屋確認もしなかった。そして、急いでお屋敷の外に出た。
街灯のあかりにほっとして、ゲームみたいな1日だったと思った。
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