小さな頃の不思議な体験
私は昔から、というか多分ずっと頭の中が見える
何を言ってんの?ってなるよね
頭の中が本棚みたいになっていて、そこには沢山の本が並べられている
いつも私の頭の中の考えはそこから引っ張り出している
3歳の時に、ハワイに行った
初めての飛行機だった
窓から見える飛行機のフラップ
着陸の時にスピードを減速させたり、高揚度調節などに使われるために羽についているパタパタするやつのことだ
隣に座っていたおばあちゃんに私は
「あのパタパタは飛行機の高さとかを調節してるんだよ」
と説明していた
3歳なのに?どこで知った?
多分私は物知りになりたかった
一度テレビや本で見たものはすぐに覚えた
5歳ぐらいの時には、タイの浜辺で馬にのった時に
「この馬は小さいけどなんで人を乗せれるか知ってる?
前足に筋肉がついていて、体が小さいから足にかかる負担も少ないからこうやって長いこと歩けるんだよ」
と一緒に乗っていた5歳ぐらい年上の友達に説明していた
馬を誘導していた方も驚いて「なんで知ってるの?」と言ってくれた
友達の子も、「5歳やんな?」と疑ってきた
それが嬉しくて、ずっと思い出に残っている
馬の勉強なんて何もしたことがなかった
なのに、頭の中で馬の図鑑を開いて喋っていた
小学校の時も、先生にクラス替えってどうやってやってるの?って聞いてもよく、「じゃんけん!」とか、「トリトリ!」とかふざけた答えで回答されていた
でも、私は調べたこともないのに、小学1年の時から、学力や運動会で差が出たらダメだから運動力、あとは活発的とか、そうでないとか喧嘩が起きないとかそういうのも全部均等にされている、それは校長とか学年主任とかが決めるから、担任の先生の意見なんて全く入ってない。とわかっていた
今じゃわかることだけど、小1の私が知っていたことが不思議だ
中学になっても、歴史で人物が出てきてもまだ習ってないのに、何故かこの人が何をしたとかがわかった
しかも、その人が戦っているシーンとかが想像できた
その時代にいたかのように、周りの風景までもがはっきりと映ったアルバムを頭の中でめくっていた
高校の時だって、哲学の道は?という質問に、私が答えられないかと思い当ててきた先生を、「京都です。」と答えて黙らせた
全く聞いたこともないのに、適当に答えたわけでもなく、何故かその場所の風景までもが頭の中の本を探し出したら出てきた
こんな私は、高校から、この謎の頭の中のつくりを特技にした
テスト前日になると、範囲のページの教科書を10秒ほど見つめては次のページ…とやっていた
そしたら、テスト開始とともに、頭の中からその教科の教科書を取り出し、一枚ずつページを捲る
そしたら、ちゃんとそのまま、写真や文字までもがちゃんと載っている教科書が頭の中に浮かぶ
それは、教科書だけでなく、勉強したノートやメモなどもそうだった
その特技のおかげで、暗記系の教科は9割越えは確実になっていた
まあでも、それは1日10時間以上も勉強し続けていた成果なのかもしれないとも思う
でも、その教科書は私の頭の中の本棚に今もなおしまわれていて、引っ張ってくると文字は途切れ途切れ、ないページもあるが、残っている
昔から、学力の知識だけでなく、日常的な知識も頭の中にあり、今もなおその本は役立っている
頭の中で、本棚が浮かび、そこに今日得た知識をかいて片付ける夢を何度も見てきた
小学校の時は、離任式の前に離任する先生が誰だか何故か想像ついてて、その人たちが本当に離任していって怖かったり。
明日〇〇が起こるって夢見たものが現実になったり。
見てはいけない本があるから、頭の中で本棚を作るのはやめようとおもった時期もあった
でも、今は私の特技をまた、小さい頃みたいにもっとページを増やしていきたい
自分だけの特技って案外面白いな