世界のオザワ
小澤征爾の訃報から一夜明け、全然眠れなかったけど、すこし落ち着いてきた。
録画したニュースを観てたら、過呼吸と脳貧血を起こしたが。
昨年大晦日放送のクラシック番組で、9月のコンサートのVTRではあるが、車椅子で登場されたお姿を拝見したはかりだ。
そのときは、なんとしてもまだまだ生きていて欲しいと願っていた。
わたしの本格的なクラシック音楽のドアは、小澤征爾が開けてくれた。(もう一人、ゾルタン・コチシュもいるが)
テレビで観たドキュメント。
小澤征爾が母校桐朋学園大学の学生オケにチャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』を教えていた。
しょっちゅう止めて細かな指示を出すので、学生たちは辟易しないかと思って観ていたが、みな小澤征爾からなにかを吸い取ってやろうと真剣に学んでいた。
その番組のおかげで、『弦楽セレナーデ』が大好きになったが、冒頭のドーシーラーソーと下がっていくメロディが悲劇的に聴こえるのか、バラエティなどで悲惨なシーンになると今でもよく使われているのが気に入らない。
小澤征爾はドイツ音楽の要素を追及していた。中でもブラームスの交響曲は重低音が鳴り、かっこいい。
『弦楽セレナーデ』もサイトウ・キネン・オーケストラ演奏と、オルフェウス室内楽団の演奏を聴き比べると、全然ちがう。
小澤征爾はドラマティックに弾き上げ、オルフェウス室内楽団は爽やかに演奏されている。
ベートーベンの交響曲第五番をアーノンクールなんかと聴き比べをしても、面白い。
アーノンクールは緩急をつけ柔らかい印象でいて鮮烈。(個人の感想)
小澤征爾はリズミカルで小気味いいが奥行きを作り低音を分厚く鳴らす。(個人の感想)
第九なんかもう小澤征爾のパッションの塊。いま聴き直しても笑ってしまう。
CD聴き比べもいいが、やはり音楽は生でしょう。
小澤征爾指揮のコンサートは、オペラを始めいろいろ足を運んだ。
娘も一度だけオペレッタに連れて行き、生演奏を体験している。
生の小澤征爾が観られてよかったと彼女もいう。
わたしがまだ二十代のころ。一人で観に行ったオペラ『トスカ』。
協賛がサントリーでウイスキーが無料で配られていたので、休憩時間に飲んで酔いちくれて、誰もいないオーケストラボックスに身を乗り出し、指揮者の譜面台にぽつりと置かれた小澤征爾の指揮棒を触ろうとしたことを思い出す。
腕を思い切り伸ばしたが、あとすこしで届かなかった。いや、全然届いてなかったかもしれない。感覚的に、あとすこし、と思えたのだ。
周りの白い目はちっとも気にならなかった。
小澤征爾指揮で思い出深いもの、といえば、因縁のN響と32年ぶりに和解し、『G線上のアリア』を演奏したときのもの。
阪神淡路大震災で亡くなられた方への追悼演奏として、最後に黙祷をし、拍手のない中スタスタと舞台からはけた。
まさに祈るような指揮だった。
小澤征爾といえば毎年8月、9月に行われるサイトウ・キネン・フェスティバル松本。今は名前が代わってセイジ・オザワ松本フェスティバル。
どうしても行きたくて、たまたま母の友達が小澤征爾の同窓生だったので(彼女はピアノ科)、なんとかチケットが取れないかとお願いしていたが、結局取れずじまいだったのが心残りだ。
その母の友達の話では、なんと、彼女の親友に小澤征爾はプロポーズしていたというのだ!残念ながらその恋は実らなかったらしいが、学生のときから情熱的だったのだなぁとしみじみ思う。
余談だが、サイトウ・キネン・オーケストラといえば、いつもコンマスのとなりに座ってバイオリンを弾いていた若かりしころの矢部達哉に胸キュンしていた。
わたしも若かったのひとことに尽きる。
我が家にあるだけのいろいろな小澤征爾の宝物に触れ、久々に興奮した。あらためて偉大さを思い知る。
東洋人として屈辱的な思いをしたこともあったようだし、反骨精神と並みではない努力家の部分がその道を開かせたのだと思う。
とうとう小澤征爾は歴史上の偉人になってしまった。
日本の宝としてそのうち教科書にも載るだろう。
しかし、同じ時代に生まれたこと、日本人がクラシック音楽の世界のトップで活躍されたことを誇らしく思う。
小澤征爾さん、たくさんの刺激と感動をありがとうございました。
小澤征爾さんのおかげで、わたしの音楽人生は豊かなものになりました。
CDやDVDで、永遠に記録は残りますし、なにより記憶は消せない思い出になっています。
最期は自宅で安らかに眠るように逝かれたとのこと。
本当にお疲れさまでした。
ゆっくり休まれてください。
☆書きたいことがぶわーっとありすぎて、盛り込んで書いたが、かなり冗長になってしまったので、これでも半分近く削った。