なぜ前方にばかり、自由を求める?
「1つの方向ばかり、自由を求めると
不自由さが目立ってしまうな…」
と、ロードスターに乗ってて
ふと思いました。
今、日本人のマインドは
「自由」へと向かってるそうです。
なので、自由を阻害されると
とてつもなく怒るおじさんが多い。
あおり運転とかも、深層心理では
自由を制限される事に
憤慨してるのだそうです。
(もちろん、おじさんは自覚症状なし)
僕も平均的に見て、おじさんと言われざるを
得ない年齢に突入してます。
しかも、男は本来「自由」の
重要性がとても高いと言われます。
だから、自由がなくなった時
女性以上に、気になるんですかね?
…だからおじさんばかりが
怒ってるのか、と思いました。
・・・
しかし、車に乗っていて
「前方にばかり自由を求める」
という発想自体に、自由がありませんよね。
頭上には、いつだって
無限の自由が広がってるわけです。
例えば、髪の毛の制限から解き放たれたおじさんは
より自由度が高いです。(極ブラックジョーク)
頭上がオープンなら
いつだって風を切って走れます。
後ろだってガラガラかもしれません。
本当は、めちゃくちゃ自由なのに
それに気づいてないわけです。
「いやいや、そんなの
一部の車種だけですやん」
と言われてしまうと思います。
田舎では、軽トラの屋根を
自力で切断したオープンカーが農園にあります。
解放された発想ですよね。
・自由を感じないのは、環境のせいか?
・それとも自分の発想のせいか?
そこを一度考えてみても良いんじゃないか
と、おじさんに言いたいわけです。
同じおじさん仲間として。
・・・
さて、東京の仕事場まで
グンマから車で行く事もあります。
それで、気づいたのは
「東京はロードスターがゼロ」というコト。
(マツダのね)
東京だと、いわゆる利便性の高い
国産の実用車や軽自動車が多いです。
全国的に見ても、そうですよね。
東京だと駐車場台も高いので
2人乗りの国産車は、選択しにくいです。
(僕も東京時はホンダのちょうど良いヤツでした)
一方、都会で少し余裕のある地域に行くと
途端に外車が増えます。
すると、僕が乗っているような
・国産で、軽自動車ほどの価格(ステータス感ゼロ)
・排気量も普通(1500cc)
・オープンカー
という絶妙に田舎臭くて、ダサい選択は
都心の思考ではありえないようです。
そのため、都会のオープンカーは
多くの場合、高級外車に限定されます。
この辺の思考と趣向の違いが
僕が東京を脱出した理由の1つと思います。
(つまり、メンタルがずっと田舎者だと)
田舎だと、マツダロードスターは
結構、見かけるんですけどね。
風を切って走るだけなら
高級外車である必要は、ないです。
なんて言ってると都会では
負け惜しみと言われそうです(笑
東京だと、オープンカーってのは
特別な人だけのもので
『超高級外車』
でしか、オープンカーを拝めない
特殊な環境だと気づきました。
そんなわけで、マツダロードスターで
東京を訪れると田舎者全開です(笑
もちろん、そう思うのは
乗ってる本人だけ、完全な自意識過剰です。
好きなものを選び、好きに生きてれば
何でも良いんでしょうね。
あなたの発想は、自由ですか?
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