言葉にすること

 言葉にすることが大切だ。それは、誰かに愚痴を言えとかそういうことではない。自分が思うこと、感じること、伝えたいこと。それをしっかりと自分の言葉に置き換えておく必要がある。

 人生は常に一発勝負だ。やり直しがきかない。しかし、明日何が起こるのか。それは誰にもわからない。未来は予不可能だ。しかしただ一つ完璧に予想できるものがある。それは、すなわち、自分の言葉だ。自分が何を言うのか、それを準備することは容易だ。台本を作ればいいのだ。

 アドリブで言葉を伝える機会が多いことは間違いがない。予期せぬことが多い以上は、即興で自分を演じなければいけない。しかし、本当の意味で即興というものがあるだろうか。日常において自分の振る舞いは決まっている。

 例えば、多くの人は仕事を持っていて、その仕事を日々全うして生きている。その仕事内容で使用する言葉はおそらくある程度のフォーマットがあり、そのフォーマットに即して言葉を編んでいるのではないだろうか。その意味で、本当の意味での即興というものはない。人は様々な鋳型を用いて、会話の類型をその都度選択しているに過ぎない。
 
 逆に考えてみれば、その鋳型がしっかりしていなければ人は曖昧な言葉を選択しながら生きていくことになる。人は言葉でしか他人とわかり合えない。ならば、言葉の鋳型を喪失することは、他者との共感を失うことに他ならない。
 
 大切なことは、自分の言葉をしっかりとデザインしておくことだ。明日、自分が何を語るのか、それを事前に作りあげておく必要がある。言葉がしっかりすれば、心もしっかりする。言葉が曖昧ならば、自分自身も曖昧になる。

 だから、日々言葉を練り上げる。言葉を練り上げることは自分の未来を練り上げることだ。言葉によって、自分を豊かにする。あやふやな自分ではいけない。

 台本を持てばいい。その台本が、自分を豊かにする。

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