自分軸と他人軸
いつも大抵深夜帯に流れる大森元貴のインスタライブを今日は夕方に流され、
久しぶりにタイミングが合い見ることができた。
その中で少し話題になったのが「自分軸」と「他人軸」について。
まず正直言うと、
「どうして他人軸で生きてるんですか?」という質問に違和感を覚えた。
余計なお世話だよ、って。
そこは置いておいて。
自分軸・他人軸ってそもそもどういう意味なのか。
わたしの勘違いは、
自分軸というのは自己中心的な生き方のような感覚で捉えていた。
それこそ、
現代は自分自身を大切にしていくことに重きを置かれがちで、
それだけ他人軸で生きている人が多いためなのだろうとは思う。
ところが、
自分を大切にすることが自己中心的な生き方と捉えている人が一部いるのではないかとも思っている。
それこそつい昨年末まで反抗期だった上の子がまさに自己中心的な生活を送っていた。
どれだけ言っても守られないルール。
自分の中の正当な理由で尽くルールを破る。
反抗期とはこんなにも自分を軸に地球が回っているものなのかと溜息がでる日々だった。
けれど自分の過去を思い返してみると、
この子は必死で自分を護っているのだと思える。
常に大人や友の周囲の目を気にかけ、
自分の望むように生きることができないもどかしさや苛立ちが反抗という形で現れていたのだと。
反抗期は他人軸で生きているが故の行動なのかもしれない。
そんな自分も他人軸で生きていると言える。
人の意見に左右されるし、
何より自分に自信など微塵もない。
反抗期の子どものように、
自分を護る為に、
これだけはブレないようにと必死に自分軸にしがみついている。
ちょっとでも力を弛めれば遠心力で吹っ飛びそうだ。
そもそもなんでこんなに高速回転しているんだろうかと疑問である。
ただ護る部分は自分の総てである必要はないので、
そこさえ護れたなら、
他は他人軸で生きる方が自分には合った生き方かなとは思っている。
いやぁ…
言っててまだまだな奴だなって思えてきた…
大森元貴へ質問した人は、
なんの為に生きるのか・誰のために生きるのかと常に自問自答していることに対して、
もっと自分のために楽に生きたらいいというような意味で問いかけたのかもしれない。
大森元貴も自分のしていることに自信がないから曲を作り続けるといったことを言っていた。
彼もまた自分軸を護ることに必死なのかもしれない。
うまく自分軸と他人軸を行き来できるといいんですがね。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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