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武道の礼節がその人の力を引き出して勝負事での勝率を引き上げてくれるぞ!という話

私もはじめて空手の道場に入門したときに、まず最初に習ったことは、武道では礼節が重んじられる、ということ。

そのため稽古より先にまず礼儀作法からしつけられました。

先輩や目上のかたを敬いなさい、と。

武道で礼儀が大事な理由はたくさんあると思います。

そして考え方もひとそれぞれだと思います。

それもあってか私に礼儀をしつけたり、要求したりする人は結構いますが、「何故武道において礼儀が大事なのか?」について教えてくれる人はあまりいません。

言い方悪いですが、武道の礼節の意味について考えたことがないのでは?と思わせるような人もしばしばいるように思えます。

今回は私なりに武道の礼節が何のためにあるのか?挙げさせていただきたいと思います。

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ただの暴力に成り下がらないようにするため

これはすぐに思い付くところではあります。この理由を挙げる先輩も多数見かけるほどです。

相手に対する最低限の礼儀もわきまえられない、良識や自制心が欠如しているような人が力を得てしまっては大変です。

「正義なき力は暴力である」

とあの極真空手の創始者である大山総裁も明言しています。

相手の立場を尊重する心持ちがなければ礼儀を示すことはできません。

武術は決して争い事を引き起こしたり、他人から権利を奪うために行使してはならないため、礼儀の姿勢がそれの歯止めとなるということでしょう。

憎悪や敵対心は弱い者いじめにしか役立たない

生物には闘争·逃走反応(fight or flight)と呼ばれるストレス反応があります。

人間にも同様です

極限状態のときには、闘うか逃げるかの二者択一で行動します。

生き残るための選択として、勝てそうなら闘うし敵わないなら逃げる、という選択をします

相手が自分より弱いなら怒りの感情を引き出して全力で闘うし、相手が自分より強いと分かれば恐怖の感情を引き出して全速力で逃げます。

生き物である以上、何よりも生き残ることを選択します。自然界でも雄同士の縄張り争いでどちらかが深く傷付くまで争い合うということは滅多にありません。

悪い言い方をすれば闘争本能は弱いものいじめのシチュエーションでしか役に立たないということです

敵対心や憎しみの感情も同様です。

よく格闘技の試合などでも記者会見のときに相手選手を罵り、乱闘を繰り広げる場面を見ることもあります。

そういうタイプの人は自分が優勢のときには良い闘いをしますが、自分が攻められて劣性になると突然戦意を喪失します。これは闘争モードから逃走モードにスイッチが切り替わったためです

おそらくここが生物の本能に頼った戦法の限界ということでしょう。

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